鎌倉淳ブログ

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2010 02/21

石垣島フェリーターミナル探訪(2009年八重山紀行11)

石垣島には、かつて国際航路があった。と書くと大げさだが、那覇から台湾へのフェリーが、途中石垣島にも寄港していたのである。有村産業という会社の船で、僕も初めて石垣に来たときは、この船にお世話になった。那覇から一晩かかり、ずいぶん混雑した船で窮屈だった記憶がある。

その有村産業は、1999年に倒産、会社更生法の適用を受けたが、再生に失敗。2008年には解散が決まり、同時に全航路の運航が停止した。そのため、いま、石垣からは、台湾航路はもちろん、那覇航路すらなくなっている。

こうした遠距離の航路は、石垣島のフェリーターミナルに発着していた。僕も最初は船で来たから、、石垣島第一歩を記したのがこのターミナルである。それが今どうなっているのか、と思って行ってみる。波照間島から帰った、午後のことである。

離島ターミナルは、市の中心部から近いが、フェリーターミナルは、離島ターミナルから1キロほど離れた、港湾地域の奥にある。そのため、人通りは少なく、週末だったためクルマ通りもない寂しい場所にあった。鉄筋2階建ての立派な建物だが、周囲に人気はない。

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入ってみると、かなり荒れている。活気もないし、フェリー会社のオフィスもカウンターもない。発着案内の類もまったくなかった。どうも、今は旅客船は全く発着していないようである。

2階が発着ゲートだったらしいが、案内板には紙が貼られていて「2階・食堂」としか示されていない。エスカレーターは停止しており、階段で2階に上がってみると、がらんとした待合室の片隅で、食堂が営業しているだけであった。
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港湾関係の事務所が入っていたりしているので、建物は使われている。が、フェリーターミナルとしての機能は失われているようである。「行李検査室」といった、台湾語の表記が、国際ターミナルの名残をとどめているが、もう使われていないし、これからも使われないだろう、という雰囲気がとても濃い。

食堂にはおばちゃんが二人いて、大きな声で世間話をしている。こんなターミナルで、営業をしているのは驚きであるが、平日の昼どきには、周囲の港湾関係者が集まってくるのかもしれない。

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「八重山近現代史略年表」というサイトによると、このターミナルが完成したのは、1989年8月22日らしい。これが事実ならば、僕が石垣島に来たのは同年7月末であるから、このターミナルには降りてない。ここに来た記憶は全くないから、実際、僕はここに降りてないのかもしれない。工事中で印象がなかったからかも知れない。

ターミナルの正面には、東横インの真新しい建物がある。これはつい最近できたばかりである。旅客船の着かないフェリーターミナルの目の前にホテルを建ててどうするのだろう?と他人事ながら心配になる。石垣島はホテルが多いので、こんな不便で寂しい立地では、なかなか客も来ないであろう。

そして、この寂しいフェリーターミナルは、やがて廃止される運命にもあるようだ。新しい埋め立て地に、別の国際旅客ターミナルを建設する構想があるからである。バブルの絶頂に完成したフェリーターミナルは、20数年の寿命で、閑散としたまま幕を閉じるのであろうか。

フェリーターミナルの隣に、きれいな公園がある。新栄公園という。これも1989年にできた公園で、ターミナルと一体整備されたのだろう。僕も、当時、石垣港近くで公園にテントを張って一泊した記憶があるので、ここだったかもしれない。が、これも記憶がない。もっと離島桟橋に近かった場所だった気もするが、定かではない。

歩いて離島ターミナルに戻る。このターミナルは2007年にできたばかりである。かつてのターミナルは離島桟橋といい、ここより少し東にあったのだが、どこにあったのかがよくわからない。だだっぴろい駐車場があるので、ここだったのかも知れない。

20年の時は、離島の港の姿を変えるのに十分な時間だったし、僕の記憶を失わさせるにも、また十分な時間だったようである。変わらないものはたくさんあるのだろうが、日本と国で、20年前の地理を辿るのが、これほど難しいとは思わなかった。

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