鎌倉淳ブログ

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2011 01/20

マラッカ世界遺産(2010年マレー半島鉄道旅行記5)

「エキスプレス・ラキヤット」を降りてマラッカに向かう。

マラッカは、14世紀から15世紀に栄えたマラッカ王国の都である。16世紀にポルトガルに占領され、その後支配者はオランダ、イギリスと変わるが、ずっとマレー半島南部の中心貿易港として栄えてきた。このあたりは、マレーシアの歴史に詳しい。マレー半島で最も栄えた歴史的都市であり、中心部の街並みは世界遺産にも指定されている。せっかくここまで来たのならば、足を伸ばしておきたい場所である。

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残念なことに、マラッカには鉄道路線は通じていない。そのため、多くの観光客はクアラルンプールからバスでこの町を訪れる。例外は日本人で、日本人だけは列車で最寄り駅まで訪れて、そこからバスやタクシーを使う人も多いのだという。日本人には鉄道ファンが多いからだと思われるが、日本人特有の「鉄道に対する信頼感」も理由の一つかも知れない。

タンピン自体は人口5万人ほどの小都市であり、駅もホームが1面あるだけの規模である。駅は町はずれにあり、駅前には小さな広場と、3軒ばかりの商店があるだけだった。これがタンピン駅である。

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マラッカまではタクシーで1時間弱である。バスの便もあると聞いていたが、駅前にはバス停はない。町まで歩けばバスターミナルがあるらしいが、時刻はすでに17時半過ぎで、速くマラッカに着きたい。駅前にいたタクシーの運転手はマラッカまでの運賃を70リンギット(約2000円)という。それは相場からかなり高いと思われたが、他に手段もなかった。

マラッカの街は混雑していた。中級ホテルは軒並み満室で、中華系の経営する安宿に泊まる。ベッドは不潔で、翌朝は南京虫に身体じゅう噛まれてしまった。アフリカでもこんなに虫に噛まれたことはない。南京虫の巣は恐ろしい。虫を家に持ち帰りたくないので、帰国時に主要な荷物を捨てるハメになってしまった。

翌日は朝からマラッカ市内を見物する。歴史的な建物はそれほど多く残されているわけではなく、見どころといえるのはポルトガル統治時代の教会跡と、オランダ統治時代の提督公邸跡くらいであった。中華街もおもしろいと聞いていたが、クルマが多すぎて歩くのに危なく、見物どころではない。もっとも興味深かったところを挙げるとすれば、高さ110メートルまでゴンドラで上がれるマラッカタワーであろう。これに乗ると、世界的に有名な「マラッカ海峡」を一望できる。ただし、海峡はかなり広く、対岸のインドネシアまでは見えなかった。

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意外とおもしろかったのが、マラッカ川のクルーズだろうか。往復1時間弱で、川をボートでさかのぼり戻ってくる。歩いて町を回るとクルマが多くて怖いが、ボートならそんなことはなく、マラッカの古い街並みを楽しめる。ちょっとベネチアっぽい。

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これでマラッカ見物はだいたい満足である。マラッカは有名な古都ではあるが、見物には半日あれば十分であった。午前中に見物を終えたら、昼過ぎの列車で次の目的地に向かってもいいくらいだ。しかし、鉄道旅行ではそれができない。なぜなら、マレー鉄道は列車本数が少なすぎるからである。タンピンからシンガポール方面へ向かう場合は、なんと1日に3往復しか列車がない。この路線は西海岸の幹線だが、それでもこの本数なのである。

ところで、マラッカの歴史を知ることは、マレーシアの歴史を知ることである。日本ではマレーシアの歴史はほとんど知られてないが、前出の「マレーシアの歴史」は好著である。もう30年近い前の本だが、それでも絶版にならないのは、それだけこの本が貴重だからだろう。僕も10年前に読んだが、優れた翻訳の名著であった。

マレーシアの歴史
マラッカ ペナン 世界遺産の街を歩く

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