旅をして沖縄で米軍基地を見たり、北海道から国後島を眺めたりすると、先の大戦がいかに愚かで、その爪跡がいかに深く、その傷はまだ癒えてないことを、私たちは知ることができる。
それらは見える傷だけれど、目に見えていない傷も、きっと多い。硫黄島の扱いも、その一つだろう。私たち民間人は硫黄島を訪れることができないから、そもそも硫黄島の深い傷に接することすらできない。
硫黄島の島民は、戦時中に国の命令で強制疎開させれられた。驚くことに、戦争が終わって70年も経つのに、強制疎開は解かれていない。硫黄島では、まだ1944年の疎開命令がいまも生きているわけである。
戦後70年経っても、硫黄島に旧島民が戻れていない理由として、硫黄島の火山活動が危険なため、という説も流布されている。だが、硫黄島に近年大きな噴火はない。つまり安全だ。だからこそ、硫黄島は自衛隊の基地として使われているし、米軍の訓練場ともなっている。
旧島民の帰島が認められていないのは、いくら騒音が発生しても住民から文句の出ない日本では希有な訓練用軍用空港を、いまのまま残しておきたいという政府の都合にすぎない。想像力の足らない私ですら、その程度のことはわかる。
硫黄島-国策に翻弄された130年『硫黄島-国策に翻弄された130年』(石原俊著、中公新書)は、硫黄島の歴史をまとめた希有な本である。小笠原諸島・父島のさらに南にある硫黄島は、現代日本人には、遠く手の届かない存在だ。その硫黄島がどう日本領に組み込まれ、開発され、戦争に巻き込まれ、戦後、旧島民がどんな扱いを受けてきたかをまとめている。
戦前は、硫黄島の開発会社が実質的な支配者となり、島の警察組織を肩代わりし、島でのみ流通する金券で給料を払ったりしていたという。コカの栽培も行っていたそうで、要するに「植民地」の扱いで、治外法権のような状態になっていたのだそうだ。
強制疎開時には、開発会社の重役が、一部の住民を欺いて島にとどまらせ、コカ栽培の証拠隠滅に使い、そのために民間人が島を脱出できなくなり、戦闘に巻き込まれて死亡した疑いもあるという。その重役は飛行機で脱出した。
いま風にいえば、超絶ブラックな島である。ただ、それでも島民はそれなりに幸せに暮らしていた。なにより、食うに困るとことはなかった。むしろ、故郷を取り上げられた旧島民は、戦後、本土での暮らしのほうが、艱難辛苦の連続だったという。
硫黄島というと、米軍との死闘ばかりが注目されるけれど、それは歴史の一コマにすぎない。実在していたコミュニティの姿と、その後日譚を、後世に伝える良書である。
2時間一気読み。

硫黄島-国策に翻弄された130年