
学生時代にケイビング(洞窟探検)をしていたとき、狭い空間が苦手でした。直径50cmくらいの狭い穴をくぐり抜けたりするのが怖く、広々としたホールに出るとほっとしたものです。
狭小空間を匍匐でずいずい進むメンバーもいましたが、「よくあんな狭い穴に入れるなあ」と感心したものです。2番目とか3番目とかに行くのはまだいいのですが、トップで進むのはできませんでした。だって、匍匐で進むにつれて穴が狭くなり、身動きできなくなったらいやだから。
振り返れば、この頃から、私は閉所恐怖症だったのではないか、と思います。
とはいうものの、究極の閉鎖空間である地底の洞窟に入っても大丈夫だったので、閉所恐怖症といっても症状は軽いものでした。重度の閉所恐怖症の人は、そもそも洞窟なんて入れないでしょう。
自分が閉所恐怖症ではないか、と自覚したのは40歳くらいに、人間ドックで脳のMRI検査を受けたときです。経験のある方はわかると思いますが、横になって、トンネルのようなすごい狭い空間に入れられるのです。その状態が20~30分続きます。始まった途端に「こんなんに30分とか耐えられん」と恐怖を感じ、検査をやめてしまいました。
狭い空間に常に恐怖を感じるかというとそうでもなく、たとえば押し入れに入っても大丈夫です。狭い空間で、「身動きできない」ことに恐怖を感じるのです。したがって、私は閉所恐怖症というよりも、「身動きできない恐怖症」なのかもしれません。
ネットで検索するとMRIが苦手な人は結構いるようです。まああれは、やっぱり怖いよね。自分だけではない、と知り、少し安心します。
もう洞窟探検なんてしませんし、MRIも受けなければいいだけの話ですが、最近、困っているのは満員電車です。
超満員の電車でも、列車が動いていれば大丈夫なのですが、何かの事情で駅間で停車すると不安になります。先日、満員で乗車した地下鉄が駅間で停車し、「前の列車でお客様の気分が悪くなり対応中のため、しばらくここに停車します」と車内放送があったときは、ぞわぞわした気分になりました。
そもそも、地下空間を走る満員電車というのは、シビアな閉所です。万一、車内で大きなトラブルがあっても外には逃げられません。車内で立ったまま身動きすらできません。そんな状態で電車が止まってしまうと、「何時間もこの状態が続いたらどうしよう」と恐怖を覚えてしまうのです。
昔は、そんなことで恐怖を感じませんでした。どんなに混んでいても、「電車は何かあっても5分か10分で次の駅まで運転し、ドアを開けてくれる」という信頼感があったからだと思います。
しかし、近年、列車の運転間隔は極限まで詰められ、アクシデントが生じたら物理的に次の駅まで行けないことが起こりうる状況になっています。そして人身事故などで列車の抑止事案の発生は増えていて、「電車が駅間で何時間も止まることはない」という信頼感が、私の気持ちから消えてしまいました。私が鉄道会社を信用しなくなった、ということです。
この話を、60代の作家の方にお話したとき、「それはあなたが大人になったからだ」と言われました。長い人生でさまざまな体験を経るにつれ、起こりうる最悪の事態を想像できるようになったことが原因、ということです。つまり想像力が豊かになった、ということです。
若き私は、「鉄道が駅間に長く停まり続けてドアが開かないなんてことは、まず起こらない」と脳天気に考えていたわけですが、いまはそういう事態が起こりうる、と予想できるようになった結果なのです。満員電車というのは、私がかつて想像していた以上に恐ろしい乗り物だということを、40歳をすぎてようやく理解した、ということかもしれません。
とにもかくにも、この年になって、満員電車に乗るのが苦手になりました。ここでいう満員電車、というのは、他人と肩が触れるのを避けられないくらいの混雑です。立っていても、自分が身動きできるくらいの混雑なら気になりません。
ということで、朝夕のラッシュのピークには、できるだけ電車に乗らないようにしています。やむをえず乗るときは、混んでいる急行は避けて、比較的空いている各駅停車に乗るようにしています。