透明人間と一人っ子

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最近、息子が「透明人間」という概念を持ち出すようになりました。

エレベーターに乗っていると「ここに透明人間さんがいる」と空いたスペースを指し、用のない階のボタンを押して「透明人間さんが降りるから」と説明したりします。「透明人間」という概念をどこかで知り、想像力をふくらませているのです。きっと彼の目には透明人間が見えていて、実際にエレベーターのドアから降りていっているのでしょう。

ほほえましいことばかりではなく、たとえばいたずらをしたときに、「誰がしたの?」と問い詰めると「透明人間さん」と言い逃れたりします。

そんな言い逃れを考えつくくらい、彼の頭の中には透明人間がきちんと存在しているのだ、と思う一方で、自分の非を認めないで逃げようという浅知恵もついてきたことを、親は知るわけです。

いまは簡単に見抜けますが、もう少し知恵が回ると、言い逃れも上達するようになるでしょう。そうなるまえに、正直に反省する習慣をつけてもらわないと、と思います。



家庭内で「透明人間」を持ち出すときは、一人っ子特有の事情も感じます。息子には、家庭内に同年代の遊び相手がいません。きっと遊び相手がほしいのでしょう。兄弟がいれば、透明人間なんて想像しなくとも、実在の子と無心に遊んでいられるのですが。

親としてはせめて、彼の目に見えている透明人間を共有して、一緒にすごす時間を大切にしたいと思うわけです。

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