宮津線 西舞鶴-豊岡 83.6km
宮福線 宮津-福知山 30.4km
北近畿タンゴ鉄道は、日本でもっとも赤字額の大きい第三セクター鉄道である。2008年度決算では、その額6億9400万円。車両の原価償却費が載せられているそうだから、単純な鉄道経営上の問題ではないようだが、それでも巨額である。
この鉄道会社は、国鉄の特定地方交通線だった国鉄宮津線を引き継いだもので、その後、宮津・福知山間の宮福線を開業させて現在の形になった。宮津線は高校時代になんとなく乗った記憶がある。宮福線も大阪に住んでいた頃に行った気もするが、よく覚えていない。ということで、念のためと思い足を運んだ。
京都発の特急はしだてで綾部へ。なつかしの183系である。この列車はそのまま宮福線に乗り入れるが、あとの接続を考えて綾部で降り、舞鶴線で西舞鶴へ。真新しい駅舎は立派だが、人気は少ない。宮津線の改札はその片隅にあり、さらに人気がない。

列車はKTR700系という気動車で、転換式クロスシートは立派だが、座席のシートはくたびれている。車内には高校生とおばあちゃんが、ちらちら乗っていた程度だった。
宮津を過ぎると、天橋立に近くなり、景色も観光地的になる。天橋立には何度か来たことがあるが、いずれもクルマかバイクだったと思う。駐車場がやたら高かったことを覚えている。そして、日本三景と言われるわりにたいしたことがなかった。今日も窓から見えたが、天気が悪いせいもあってとくに美しくない。

日本三景は三つとも行ったが、どこも絶景というほどではない気がする。いったい誰が決めたのだろうか?
天橋立から先は非電化区間。海岸沿いを走るイメージがあったが、実際には海岸はあまり見えず、丹後のちょっと重たげな景色が続く。峰山は野村克也氏の出身地。こんなところから出てきたのだなあ、と思う。
次の網野は、大学時代のクラブの後輩に、ここ出身がいたのを思い出す。たしか、奄美大島の洞窟探査に一緒に行った。旅をしていると、こうして突然昔のことが突然思い出されたりする。芋蔓式にいろんなことが頭の引き出しから出てくるのである。網野の海を眺めながら、僕の脳内は奄美大島に飛んでいた。
円山川の広い橋を渡ると、豊岡である。円山川の橋は建て替え中であった。橋の立て替えには多額の費用がかかる。なので、橋を建て替えていると言うことは、この路線が廃止になることは当分なさそうなことがわかる。赤字が多額でも、それなりに利用されているからだろう。

豊岡から折り返し、宮津へ。ここで乗り換えて宮福線に。1988年に開通した、比較的新しい路線なので、踏切もない高架の路盤である。近代的だが、おもしろみはあまりない。
福知山着。ここも、高架のきれいな駅舎になっていた。

悪いことではないのだけれど、日本中どこにでもあるような高架駅で、ちょっと味気ない。