旅行人の休刊

旅行人」があと3号で休刊する。半年に一度しか出ない雑誌なので、2012年上期号が最後である。

休刊の理由は、蔵前編集長の体力的な問題とのこと。蔵前氏はまだ54歳であるが、編集からデザイン、DTPまで一人でこなすスタイルでは、年齢的に限界と言われれば、そりゃそうだろう、と思う。

最新号(2010年下期号)に掲載された「お知らせ」には、以下のように書かれている。「視力が衰え、腰も悪くなり、記憶力もますます低下し、集中力も続かなくなってしまいました」。これらのことは、まだ40歳の僕でも多少は感じることである。50代半ばで、パソコンの画面と一日にらめっこしているのは、さすがにつらいだろう。

僕が「旅行人」を知ったのは、「ゴーゴーアジア」だったと思う。この本の初版は1988年だが、僕が読んだのは、たぶん1993年頃。その頃から「旅行人」本誌も買い始め、以来、支援の意味も込めて、毎号欠かさず買っている。15年以上も買い続けている雑誌は、「旅行人」だけである。

90年代は、日本人バックパッカーが数多く旅した時代である。「旅行人」の黄金時代も、おそらくは90年代だろう。が、あまりに長い不況のせいなのか、日本人の気持ちが内向きになったのか、00年代になるとバックパッカーは減り始める。「旅行人」の企画がつまらなくなり、停滞をしはじめたのも00年頃だ。さらにネットが普及し始め、旅行の情報はウェブで簡単に得られるようになり、雑誌一般が衰退しはじめた。旅行者の減少と雑誌の衰退のなか、「旅行人」は月刊から、季刊、年2回刊と形を変えながら、10年間よく頑張ったと思う。それがついに幕を下ろすと聞いても、「お疲れ様でした」としかいえない。残念だが、必然の気がする。

90年代半ば、僕は将来、「旅行人」は「本の雑誌」みたいになれるのではないか、と思っていた。無償で手伝いたい、という人も少なくなかったし、そういうパワーを力にすれば、その程度は十分可能だと思っていた。しかし、蔵前氏は、無償で手伝いたい、と申し出てきた人には、「労働には対価が発生するものだ。そしてそれを私は支払えない」と言って断ったという。このあたり、「本の雑誌」と好対照だが、それが蔵前流なのだろう。

その「本の雑誌」も、2年ほど前に、休刊の危機にあることを誌面で明かした。こちらは純粋に経営的な問題、つまり「売れなくなってきた」ということらしい。その後、「本の雑誌」は「這いつくばってでも出していこう」(椎名誠)ということで刊行を続けている。「旅行人」も、いまやあまり売れているようには見えないが、「這いつくばる」ことまではしないようだ。これもまた、蔵前流なのかもしれない。

そもそも、蔵前氏には「這いつくばる」理由もないのだろう。なんといっても、旅行人は「本の雑誌」と違って小所帯である。現在はわずか3人で作っていると言うから、あまり社員の生活などを気にする必要もない。蔵前氏でなければ雑誌を出せない編集システムなので、後継者もいないのだ。

「旅行人」は、今後は書籍の出版のみを続けるという。書籍の零細出版社は日本に多数あるが、その一つになるのだろう。本誌も不定期刊行物として残る可能性はあるようだが、出たとしても、あと1、2回で終わりになりそうだ。現在ですら年2回刊である。それをさらに不定期化して、ごくたまーに出していたら、蔵前氏はすぐに還暦を超えてしまう。還暦を超えて、いまのテイストの雑誌をDTPからひっくるめて制作する姿は、ちょっと想像できない。

「旅行人」の歴史は、日本人バックパッカーの歴史と重なる。「旅行人」の前身である「遊星通信」が生まれた80年代は、バックパッカーという言葉が日本で普及した時代でもある。いま、その言葉は定着しすぎて、特別なものではなくなり、じゃっかん時代遅れにさえなりつつある。その意味で、「旅行人」の休刊は、一つの「旅の時代」の終焉なのかも知れない。

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