妻籠は、いつの間にか日本屈指の観光地になった。

木曽山中にある小さな集落なのだが、江戸時代の宿場町の街並みがよく保存されているということで、外国のガイドブックであるロンリープラネットで絶賛され、ミシュランのガイドブックでも1つ星が付けられた。いまでは、日本人よりも外国人に人気の観光地、とすら言われている街である。
あいにく僕は訪れたことがなかった。赤沢森林鉄道に乗った後、近くだろうと言うことで行ってみる。近く、といってもクルマで1時間くらいかかった。このあたりは高速道路がないので、谷間の国道を延々と走らなければならない。
駐車場にクルマを停め、集落に入ると、すぐに妻籠の街並みである。
なるほど、これはよく保存されている。ここは全国でも86しかない重要伝統的建造物群保存地区に指定されているが、そのなかでも保存度は群を抜いているだろう。萩や角館など有名な町も、つぎはぎだらけにしか建物は残っていないものだが、ここは木造の古建築が軒を連ねている。これだけの古建築が並んでいる街は、僕の知る限り日本では他にない。建築年代は江戸というよりは昭和戦前という気がするが、それでも現代的なものは一つもない。

残念なのは、道路が舗装されていることである。街並みは江戸時代なのに、足元は平成なのである。これはもったいない。ただちに舗装を引っぱがし砂利か土に戻したほうがいい。が、実生活上では、舗装してないと不便なんだろうな。観光客が多ければ多いほど、埃も舞うし、店の中に泥を持ち込まれてしまう。
妻籠の中心的存在は、本陣と脇本陣である。本陣とは参勤交代の際に大名が泊まる宿。脇本陣は本陣の利用が重なった際に、格の低い大名が使用した宿である。妻籠に残されている本陣は1995年に再建されたもので、脇本陣は1877年に建設されたもの。どちらも実際に参勤交代時に使われたものではないが、当時の雰囲気はよくわかっておもしろい。

それにしても、観光客は大勢いるのに、本陣・脇本陣に入っている客はとても少なかった。ここに入らないで、何を見ているのだろうか、と思わないでもない。
実際、通りを往復して雰囲気を味わったら、妻籠ではもうあまりすることがない。あとは、名物のおやきや蕎麦でも食べて一服しておしまいである。
妻籠の本当の魅力を味わうには、もう少し時間と体力がいる。ここから隣の宿場町の馬籠まで、中山道の旧道あり、そこをトレッキングするのである。外国のガイドブックに書かれているのも、街並み観光と言うよりは、このトレッキングである。距離は約8㎞、3時間もあれば着く。本当に江戸時代の雰囲気が残されているのは、宿場町でなく、林の中を抜ける峠道なのである。
今回は、時間もないし、膝も痛めているので、トレッキングはしなかった。当分再挑戦する予定もありませんが、老後の楽しみにしておきます。