「世界遺産」の真実

佐滝剛弘(祥伝社新書)

「世界遺産」の真実---過剰な期待、大いなる誤解 (祥伝社新書 185)「世界遺産」の真実---過剰な期待、大いなる誤解 (祥伝社新書 185)
(2009/12/01)
佐滝 剛弘

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世界遺産について説明するのは難しい。

登録へのプロセスや登録基準、誰が登録を決めるのか、など。これらは形式としては一応決まっているのだが、実質的な詳細ははっきりしない。そのはっきりしない中身に切り込んでいくのは結構大変だ。本書は、それに挑んだ初めての本であろう。

本書は世界遺産はなぜ好まれるのか、というわかりやすい話題から入り、世界遺産の定義、登録への道筋を解説していく。世界遺産とは、ばっさりいえば「顕著な普遍的価値を有するもの」とされる。しかし現実には、観光的価値を高めるためのツールになってしまっている側面が強い。観光的価値を求めて登録を目指す関係者が、どうやって「普遍的価値」という抽象的な建前をクリアしようかと知恵を絞っているのが、世界遺産登録への現実の姿である。

この本では、石見銀山の「逆転登録」と平泉の「落選」について稿をを割いて詳述している。おおまかにいえば、ユネスコから派遣される調査員が、どちらもあまりいい評価をしなかったのだが、実際の登録を決める会議までにロビー活動を展開した結果、石見銀山は登録にこぎ着けた、平泉はそれに失敗した、ということである。なぜ調査員がいい評価をしなかったかというと、つまるところ「普遍的価値」を上手く説明できなかった、ということのようだ。

本書は、世界遺産への疑問や舞台裏について、かなり回答を与えてくれる良書であるが、いっぽうで政治的な話はほぼ皆無である。世界遺産に登録されるには、政府(日本の場合は日本政府)が推薦することが不可欠なのだが、その推薦に至るまでにの水面下の政治的な動きについては何も触れられていない。石見銀山や平泉が、ユネスコによってどう審査されたかについては説明されているが、なぜ石見銀山が日本政府から推薦されたのか、なぜその次が平泉なのか、についてはまったく説明がない。しかし、日本人読者が知りたいポイントは、そこではないのか、という気がする。

平泉はともかくとして、石見銀山や紀伊山地は、かつてはたいした観光地ではなかった。私は和歌山県に住んでいたことがあるが、熊野古道(紀伊山地)など、どう考えてもただの山道にしか見えなかったし、高野山など時代遅れの観光地だった。それがいきなり日本政府から世界遺産に推薦されたことには腰が抜けるほど驚いたものである。石見銀山も1991年に訪れたときは、鄙びた観光地にしか見えなかった。あれを世界遺産に登録しようと考えて、実際に政府に推薦させるには、かなりの政治力が必要だったろう、と思わずにはいられない。しかし、その舞台裏は、何も書かれてない。本書に書かれているのは、政府に推薦された後の話なのだ。

「世界遺産ブーム」がどこまで続くか分からないが、これからも世界遺産が高い観光的価値を持ち続けるのは間違いない。著者には、今度は日本国内で暫定リスト掲載からユネスコ推薦に至るまでの事情について、解説して欲しい。

「世界遺産」の真実---過剰な期待、大いなる誤解 (祥伝社新書185)

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