コタバルはマレー半島上陸作戦が実施された場所である。
その意味で日本人にとっては歴史的な土地であり、この地からシンガポールを目指すという旅も、戦史好きにはおもしろいかもしれない。しかし僕は逆コースでシンガポールからコタバルの地に一日で着いた。
とはいっても、コタバル市内に着いたのは夜遅かったし、次の早朝にはすぐに出発したので、何も見ていない。街並みからは少し殺伐とした印象を受けたが、もちろんそれは通過旅行者の思いこみである。

コタバルの鉄道最寄り駅はワカバルで、その隣のパシルマスという駅からタイ領のスンガイコーロックへ線路が繋がっている。しかしこの路線を旅客列車が走っていたことは、少なくともこの20~30年はないようだ。貨物列車は数年前まで走っていたようだが、それも現在は運行を停止している。つまり、東海岸線のタイ・マレーシア国境は断絶している。
ということで、マレー半島鉄道1周において、この区間だけはバスになる。僕はコタバルのバスターミナルから朝8時過ぎのバスに乗り、そのままマレーシア・タイ国境についた。イミグレーションの大きな建物に向けて、クルマが列をなしている。

マレーシアイミグレーションを抜けると、細い川に橋が架かる。ここが国境のようだ。橋には鉄道橋も並行しているが、途中がバリケードでふさがれていた。

タイのイミグレーションは、道路際の切符売り場のような位置である。無視して入国しようと思えばできるような構造である。そんなことする人はあんまりいないだろうが、気づかずに入国してしまったらあとで面倒なことになりそうだ。

さらに歩いてイミグレーションの敷地を抜けてから、並行した鉄道線路に足を伸ばしてみる。草むした線路が国境へと延びている。信号は青だが、動いている気配がない。

マレーシア語のアルファベットが消えて、タイ文字ばかりが目立つ。スンガイコーロックの市街地に入ると、どこか猥雑感がある。マレーシアにはイスラムの国独特の清潔感があったので、タイの猥雑感には少し気が重くなったが、懐かしくもあった。

国境からスンガイコーロックの駅までは歩いても15分ほどであった。マレー鉄道と違い、タイ国鉄は運転本数も多く国内交通としてよく機能しているからか、駅前はことさらに賑やかであった。

駅のように見えないが、線路を渡って島式ホームに駅施設がある。駅舎をくぐって駅構内に入る、という仕組みでないから、一瞬、どこが駅なのかよくわからなかった。