タイ国鉄・スンガイコーロック支線(2010年マレー半島鉄道旅行記10)

スンガイコーロック-ハジャイ(230.46km)-バンコク(1159.04km)



バンコクのタイ国鉄南本線は、途中駅ハジャイで東西に別れる。南本線はそのまま西海岸方面に進み、マレー鉄道のバタワースまで乗り入れている。いっぽうハジャイから東海岸方面に別れるのがスンガイコーロック支線である。タイ領土は東海岸のほうが南に広いので、スンガイコーロックはタイ最南端の駅となる。



ここからバンコクへは、2本の直通列車が走っている。一本は特急で1等寝台も連結されている豪華列車である。もういっぽうは快速で、こちらは2等と3等の座席車主体である。快速が11時30分発、特急が14時20分発であった。

マレー半島鉄道1周旅行のしめくくりということもあり、この区間は特急の1等寝台を取ろうと決めていた。予約はしていないが、こんなローカル特急がそれほど混むこともあるまい、と思ってスンガイコーロックの駅の切符売り場に行く。が、結果は意外であった。なんと、運休だというのである。

運休はその日だけで、翌日は運転されるということであったが、僕は今日乗らねばならない。なぜなら、明後日にバンコクを発つ飛行機で帰国することになっているので、それに間に合うためには今日の列車でなければならないからだ。

仕方なく、快速に連結されている2等寝台を求めたがそれは売り切れだという。結局手に入ったのは、2等座席車だけだった。バンコクまで快速だと約22時間かかる。その距離を座席車というのはうんざりだが、他に手段はない。バスなら探せばあるだろうが、ここまで鉄道を乗り潰してきたのに、最後にバスを使うという選択肢はなかった。しかも、その列車もボードには150分遅れとある。


近くの食堂でうどんを食べて腹ごなしする。どうせ座席車では、ろくな食事は取れない。


掲示してあった通り、予定時刻より2時間半以上遅れて入線。編成は長い。機関車、荷物車(2両)、エアコン2等寝台車(1両)、2等寝台車(2両)、2等座席車(2両)、3等座席車(5両)である。客車10連、荷物車を含めれば12連の堂々たる優等列車であった。マレーシアの短い廃れた列車を見てきたので、活気を感じる。


ただし、残念なことに、食堂車の連結がない。食堂車があれば、座席に疲れたら食堂に移動してビールでも飲めるが、それがないとなると、22時間のあいだ、ずっと座りっぱなしになる。22時間一つの座席に座り続けるというのは、ちょっと気が遠くなる話だ。

外観は青と白のツートンカラーで、素朴なデザインだ。マレー鉄道の車両はステンレスの外装ばかりだったから、鋼製ボディはちょっと懐かしくもある。

内部に入ってみる。2等車の内装は木製で、エアコンもなく古びている。天井にはスチールの扇風機がくるくると羽根を回している。日本ならば昭和40年代の雰囲気である。しかし、座席だけは新調されたようで、革張りでリクライニングも深い。足元も広く、座ってみると快適である。これなら、腰が痛くて疲れるということはなさそうだ。新しいぺたんこのリクライニングよりも、こちらのほうが深みがあってよい。



指定券は完売のはずだったが、列車は空いている。スンガイコーロックは国境の小さな町であるから、ここから乗る人は少ないのかもしれない。10人ほどの客を乗せて、快速バンコク行きは13時54分に発車した。2時間24分遅れのスタートである。

タイ領に入っても、風景は昨日のマレー鉄道東海岸線と変わりはなく、濃緑のジャングルが続いている。車両の窓は、ほとんど開け放してあり、風は気持ちいい。エアコンのない車両もいいものだ。ガラスを通さない緑は、目に強く焼き付いてくる。


ホームには人が溢れ、物売りが声高に弁当や果物を売り歩く。マレーシアの駅に較べて、タイの駅はとても賑やかだ。


日が西の空に沈み、薄暗くなり始めた頃、ハジャイに着く。揃いのジャージを着た女子高校生たちが、同級生とおぼしき少女を見送っている。何かの試合があるのか、あるいは田舎を出てバンコクに巣立つのか。日本では見られなくなった鉄路の別れだが、少女たちはおしゃべりをして笑いあっている。



見送られる子は、2等寝台車に乗り込む。タイでも、普通の高校生が寝台車に乗る時代になったのかと思う。ならば、あと10年もすれば飛行機に乗るようになるだろう。20年後には、寝台車に乗る人なんてほとんどいなくなるかも知れない。日本がたどった道である。

車内は満席である。ハジャイに着くまでの途中駅からの乗車でほぼ埋まっていたが、ハジャイでかなりの乗下車があり、完全に満席になった。座席車であるから、バンコクまで遠出する人よりも、中近距離での利用も多いようだ。

外は真っ暗である。真っ暗になってしまうと、することがない。窓のブラインドを閉めて、アイマスクを付けて寝る。座席車だから深くは眠れないが、うつらうつらしながら、気が付くと朝だった。10時間以上寝ていたようだ。それだけの時間寝られるだけ、座席は快適だった。快適性は必ずしも車両の古さとは比例しないようである。

プラチュアップキリカーンという駅を出ると、右手に海が見える。南シナ海の最奥部、タイ湾である。コンクリートの漁労小屋が、南シナ海の反射光に輝いている。マレー半島の鉄道は海岸に沿って敷かれているが、実際に海が見える区間はきわめて限られる。抜けるような海面と射抜くような朝の陽光はとても新鮮であった。



ナコーンパトムあたりからは、タイの郊外路線の雰囲気になる。駅のホームに待ち客も多い。



ジャングルはもう見あたらず、森の木々の間にもオレンジ瓦の新築住宅が見えるようになってきた。そしてその密度はだんだん濃くなってくる。もうここは、バンコクの郊外だった。

工事区間が多くなる。バンコクから出るときには、当然とした思わなかった高架工事も、マレー半島を一周してから見てみると、とても画期的なことのように思えてくる。近代化がとても楽しみだ。



列車はやがて徐行運転が多くなる。スラムの間を抜け、北からの本線と合流し、最後の停車駅バーンスーに到着する。ここは地下鉄とも接続している郊外のターミナルだ。乗客がどっと降りる。気がつけば、もう3割くらいしか乗っていない。ほとんどの人が終点まで乗ると思っていたので、ちょっと意外であった。

ガラガラになった客車は、車軸をがたがたといわせながら、最後の区間をゆっくりと走った。たっと5キロなのに、5分経っても10分経っても終点に着かなかった。ホアランポーン駅に着いたら、マレー半島1周は完結してしまう。まるで僕の最後の旅を、少しでも長引かそうとしているかのようであった。

終点、バンコク。6日ぶりだが、とても懐かしい。そして、ここより大きな駅は、マレー半島にはなかった。



バンコク・ホアランポーン駅は、やはり東南アジア最大の鉄道駅のようである。


駆け足だが、7日間で、マレー半島を鉄道で1周することができた。ハジャイ以南の鉄道は、近郊路線を除きほぼ完乗である。

(2010年マレー鉄道旅行記 了)

※マレー鉄道によるマレー半島1周のガイドブックには、「マレー半島モンスーン・エクスプレス 」がある。1冊で一通りのガイドがあるので、地球の歩き方を何冊も持っていくよりは便利。ただし、10年以上の前の本なので、古い。
あまりにも有名な本だが、「深夜特急第2巻」はマレー半島とシンガポールが舞台。シリーズのなかでもおもしろい巻なので、読み直していくのもいいだろう。
マレー半島を鉄道で1周した旅行記には、「マレー鉄道で朝食を〈2〉」がある。特筆するほどおもしろい仕上がりではないが、同様にマレー鉄道を乗り潰そうという人には参考になる。ただし、鉄道に関しての記述は少ない。



これで、2010年マレー半島鉄道旅行記は終わりです。何かの参考になりましたらなら、拍手のひとつでもしてくださいませ。

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