
江差で行きたいところがあるとすれば、復元された開陽丸である。港に係留されていて、12月いっぱいは冬期休業に入らないので、見物できる。
駅から歩いてどのくらいかかるのかは、
開陽丸のホームページを見ても載っていない。というか、地図はあってもアクセスの案内は書かれていない。つまり、鉄道で来る人など想定していないのだろう。江差町のホームページを見てもよくわからない。グーグルマップを見ると2キロ程度と思われたので、歩いてみることにする。
が、雪がどんどん降ってきている。晴れた日の2キロなら気持ちのいい散歩だが、雪の中を歩くのはつらい。傘も持ってなかったので、雪まみれになりながら、30分近くかかってようやくたどり着いた。

開陽丸は、想像していたより大きな船だった。全長72メートルもあるのだそうだ。排水量は2590トンもあったというから、現代の小型フェリーよりもよほど大きい。内部に大砲がずらりと置かれ、当時の姿が再現されている。

よく知らなかったが、オランダから喜望峰を回って回航してきたのだそうな。それが、就航わずか1年ほどで時化にあい、江差沖で座礁してしまったそうである。本当にもったいない。きっと、今日みたいな荒れた日だったのだろうな。
ちなみに、開陽丸の沈没地点は、「埋蔵文化財 開陽丸遺跡」として、国指定の特別史跡・遺跡になっている。世界でも数少ない海底遺跡の一つとされるそうだが、沈没船を遺跡というのはどうかと思わないでもない。これまでに遺物が3万5千点以上も引き揚げられていて、その一部が船内に展示されていた。
1時間くらい見物していたが、他に客はいなかった。
見物を終えて、また雪まみれになりながら江差駅に戻る。すると、除雪車が入ってきている。

それはいいのだが、次の列車は運休するという。除雪車が入ってしまうと、旅客列車が入れないのだそうだ。なんだそれ?と思ったが、要するに木古内以北の江差線に除雪車が入ると、旅客列車は入れないということのようだ。途中の湯ノ岱駅に交換設備はあるはずだが、除雪するまで使えないから、すれ違えないと使えない、ということだろうか。
そのため、代替輸送でタクシーで木古内まで送ってもらう。北東パスでタクシーに乗せてもらうのは大変恐縮であるが、途中の県道も雪が積もっていて怖かった。

やっぱり列車のほうがいい。
開陽丸、北へ―徳川海軍の興亡