南大東島に、大規模な軽便鉄道網があったことは、鉄道ファンの間では有名である。

(写真は「南大東村立ふるさと文化センター」より)
1917年に初めて敷設され、1983年に全廃された。軌間は762ミリ。目的はサトウキビの輸送である。そのため、シュガートレイン(さとうきび列車)などと呼ばれる。
貨物用の軽便鉄道が敷かれていた離島は他にもあり、南大東島だけが特別なのではない。しかし、南大東島のシュガートレインの規模は群を抜いていたのと、戦後も運行を続けていたのは沖縄唯一であったことから、知る人ぞ知る存在になっていた。
1983年の廃線後に、その痕跡をたどるために南大東島を訪れる人も少なくない。作家の宮脇俊三もその一人で、1997年にここを訪れて「南大東島の砂糖鉄道」というルポを書いている。「
鉄道廃線跡を歩く(第5巻) 
」に収録されているので、今でも読むことが可能だ。
廃線後すでに四半世紀が経ち、変化の少ない南大東島とはいえ、ほとんどの鉄道施設は撤去されている。しかし、一部は島内に残されている。なかでも、島の中心部にある「ふるさと文化センター」という郷土施設には、機関車が残されているので行ってみる。
置いてあったのは、2号SL(雨宮製)と8号DL(日本車輌製)である。


雨宮製作所は、戦前に軽便鉄道向けの車両を供給した会社だが、昭和恐慌後に倒産した。現在、現役で走る雨宮車両は一つもないが、北海道の丸瀬布森林鉄道では動態保存されている。一方の日本車輌は、現在はJR東海の子会社になり、リニアモーターカー車両の製造に携わっている。遠い南の島ではあるが、二つの車両会社の栄枯を感じられる場所である。
客車はベニア板を張り合わせたようなおおざっぱな作りで、どこの製造かは不明。

貨車は猛獣の檻のように枠が高い。ここにサトウキビを満載したのだろう。

客車の内部には液晶モニターがあって、希望すれば資料DVDを見せてくれる。ふるさと文化センターの係員にお願いして、僕も見せてもらった。
保存場所には、当時の路線図も描かれている。製糖工場を中心にして、島内を一周する環状線と、港への支線で主に構成されている。総延長は30キロにも及んだという。

路線跡はほとんど残されていないが、たどってみることにする。
南大東島砂糖鉄道の廃線跡めぐりは、さきの「
鉄道廃線跡を歩く(第5巻) 
」に詳しい。今では手に入らない往時の国土地理院地図まで掲載されていてとても役に立つ。
また、走っていた時代の様子は「
南大東島シュガートレイン―南の島の小さな鉄道
」に多数の写真が掲載されている。わずか数日で取材撮影しただけの本なのだが、今となっては非常に貴重な資料である。
鉄道廃線跡を歩く
南大東島シュガートレイン―南の島の小さな鉄道