軍艦島上陸(長崎世界遺産候補地旅行記5)

軍艦島の正式名称は端島である。端島は明治中期から昭和中期まで炭坑として栄えた。産出量の絶頂期を迎えたのは1941年で、最大人口を記録したのが1960年である。したがって、この20年間が端島の最盛期といえる。

最盛期の人口は5267人だが、面積は6万3000平方メートルしかない。これは日比谷公園(16万平方メートル)の4割程度である。そんな狭い土地に、炭坑から住宅や公共施設などの都市がワンセット入っていた。

そのため、島には、高層化されたコンクリート建造物がひしめき合うように詰め込まれている。1974年に閉山、無人島になり、建造物はそのまま放置され廃墟になった。こうしたうち捨てられた戦後コンクリート建造物群が端島のシンボルであり、捨てられた都市こそが魅力である。

さて、いよいよ上陸。上陸前に二つの班に分けられて、それぞれが別々に行動していく。桟橋から防波堤をくぐると、第一見学広場にでる。ここは、かつての貯炭場に面している。

2aca7d1b.jpg

列をなす支柱は、石炭を運んだベルトコンベアの跡。
bef6892e.jpg

貯炭場の向こうには、端島小中学校校舎が見える。1957年建造の鉄筋コンクリート7階建である。学校建築らしく、無骨で丈夫そうだ。
d646efbf.jpg

見上げた丘の上に見えるのが、管理職社員アパート。
4b3685b6.jpg

端島は三菱鉱業(後に三菱石炭鉱業・現三菱マテリアル)の所有で、三菱のホワイトカラーはこうした管理職アパートに居住していた。管理職アパートには部屋が二間あり風呂もあったが、鉱員アパートは風呂なしの六畳一間だったという。

島を見下ろす位置に建つこの建物を見ていると、ホワイトカラーとブルーカラーという古い用語が頭をよぎった。1960年代は、まだそういう区分けがはっきりとあった時代だった。とはいえ、これだけ明確に居住区が違うと複雑な気持ちがする。

関連記事

サイト内検索

おすすめ記事

ブログ村

アーカイブ

全ての記事を表示

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
育児
10位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
パパ育児
2位
アクセスランキングを見る>>

訪問者数