第一見学広場から少し歩き、第二見学広場に。

このあたりは炭鉱施設があった場所で、目の前にある煉瓦色のアーチは捲座と呼ばれる施設。

これは、炭鉱内を上下するケージを巻き上げる施設である。大正時代に第三竪坑用に作られた。第三竪坑が閉鎖された後は、倉庫として使われていたという。
見上げると灯台がある。この灯台は島が無人化してから建てられたもので、端島唯一の現役施設である。島に人が住んでいるときは、灯台など必要なかったのであろう。

その隣のボックスのようなものが、貯水タンク。島内の最も高い位置にある。この離島で貯水タンクがどれだけ重要であったかは、説明されるまでもなく想像できる。ただ、1957年に本土からの海底水道が開通すると、その重要度は減ったようだ。
これが、海底水道が通っていた跡のようだ。

防波堤の間から、水道管が海に伸びていた。
第二見学広場から防波堤に沿って歩くと島の南端に出る。
そこにプールの跡がある。もちろん、塩水プールである。

プールの横が第三見学広場になっている。

広場から島の中心部を望むと、手前に炭鉱施設、奥に住宅群が見える。
この施設は鍛冶工場だったそうだ。

住宅地方向を望む。

手前の真四角のビルが、30号棟。1916年にできた、国内最古の鉄筋コンクリートアパートだそうだ。ぼろぼろになってはいるが、100年前の集合住宅がこれだけ原型をとどめている方が驚きといっていいかもしれない。何しろ、塩害の厳しい場所である。施工は良かったのであろう。
その隣が31号棟。1957年の建造だから、島内では比較的新しい。そのため、6畳+4畳半+台所と、間取りは大きめだった。防潮堤の役割も兼ねた構造になっているという。そのわりには低い位置にも部屋があり、台風の時はどうしていたのだろうかと思う。
さて、ざっと見てきたが、見学はこれでだいたい終わりである。島の外周を4分の1周ほど歩いただけで折り返さないといけない。コンクリートの建造物には近寄ることも触れることもできない。もちろん街並みに足を踏み入れることもできない。