江戸時代、五島列島を治めていたのは外様大名の五島氏1万5000石である。その居城が石田城だ。福江城ともいう。

江戸幕府滅亡5年前の1863年の完成で、「日本最後の城」とも呼ばれる。幕末に建設された城は珍しく、同時期の城としては松前城があるくらいだ。幕末の築城が日本の西端と北端という辺境で行われたことは興味深い。
その石田城を、福江島1周を終えた翌朝に訪問してみる。
石田城は幕末に作られたばかりの城だが、1872年には本丸が解体されてしまった。10年ももたない悲劇の城ともいえる。しかも、現在は本丸跡地が五島高校の敷地になってしまっていて、立ち入ることはできない。その意味では、見物しがいのない城ではある。
わずかな現存施設の一つが、城郭の西端にある横町口蹴出門と石橋である。

ここだけは、雰囲気が残っている。
それと、五島邸庭園も、現存関連施設である。これは、五島家第30代盛成公の設計で、1858年(安政5)から2年かけて城内に造営された隠殿(隠居所)である。庭園は、京都の僧、善章に命じて造らせたもので、金閣寺の丸池を模倣している。庭石と築山はすべて島内の溶岩が用いられ、植栽に亜熱帯植物を配している点に特色がある。

たしかに、ここだけは、雅な京都の香りがする区画だった。
城をぐるりと歩く。城壁や濠は往時の姿をとどめている部分もある。
五島観光歴史資料館。二の丸跡にある博物館だ。城の天守をかたどったようなデザインがちょっと悲しい。こういうデザインの資料館を建てるなら、本丸の天守台跡に建てればいいのにと思う。それなら「復元天守」で町のシンボルになったろうに。

その本丸跡には、ごらんの通り五島高校が陣取っている。


城跡に学校は配置されている例は他にもあるが、できれば移転させられないかと思う。金沢城跡にもかつて金沢大学があったが、いまは移転して、跡地には藩政時代の建物が復元されている。福江において金沢と同じようなことはできないと思うが、せめて本丸を公園くらいにはできないものだろうか。
こちらは、武家屋敷通り。

とはいっても、武家屋敷は一軒も残されていない。これも、多少の復元家屋などがあればもう少し雰囲気がよくなるが、現状では武家の面影を感じることはできない。石垣が往時の風情を残すのみである。