上五島には4つの世界遺産候補の教会がある。そのうちの3つが中通島にあり、残りの一つが野崎島にある。中通島の3つはクルマで訪れることができるが、野崎島にある野首教会だけはそうはいかない。野崎島は現在は無人島になっていて、訪れるには、まず近くの小値賀島へ渡り、そこから小型船で日帰り往復する以外に方法がない。
当初の予定では、今日のうちに3つの中通島の教会群を見てしまい、夕方の船で小値賀島まで行き、明日野崎島に渡ろうという計画だった。ところが、天気が悪く、確認してみると野崎島に渡る明日の小型船は欠航しそうである。天候は回復まで時間がかかりそうで、翌々日も見通しは暗い。となると、今回は野崎島はあきらめるほかなさそうだった。
そこで方針を変えて、教会が多数残されている中通島をゆっくり回ることにする。雨模様だが、教会を見るだけなら天候はそれほど気にしないでよい。
奈良尾港近くでレンタカーを借り、それほど遠くない中ノ浦教会へ。

1925年に建てられた木造教会である。白い木壁が目を引くが、遠くから見ると桟瓦葺きの重層屋根も特徴的だ。

方形の鐘塔が少し浮いているように見えるが、この部分は昭和になってから増築されたものである。内装は明るいが少し安っぽい。教会は暗いほうが重厚感がでるのかもしれない。
次に若松島に渡る。若松瀬戸は流れの速い海峡だが幅は狭く、橋が架けられている。

若松島の土井の浦教会へ。集落を見下ろす高台に建つ真っ白な教会だ。

1915年に別の教会だった建物を移築してきて、それが現在も使われている。1879年築とされ、これは長崎県内では大浦天主堂に次ぐ古さという。とはいえ、近くで見ると横壁は新建材、正面はモルタルになっている。外見は歴史的な建造物には見えない。
ただ、内部は木造アーチが見事である。焦げ茶色の柱が曲線を描いて天井で交わっている。木材をどうやってこのように曲げるのかと感心した。
次は、有福島へ渡る。若松島と有福島は堤防でつながっている。

有福教会は1927年築の木造。これも改装されていて、正面は新建材のようで新しい。ちょうどミサの最中で、内部には入れなかった。

有福教会のすぐ目の前は海である。風の強い日で、波浪が激しく防波堤にたたきつけている。ちょっと怖い。そんな日でも、信者さんたちも、こうして自転車などでミサに訪れている。

有福島の先には、日島という小さな島があり、ここも防波堤でつながっている。防波堤を渡ったところに、日島曲古墳群という遺跡がある。

曲古墓群は、日島の南南西にあり、宮の瀬戸に向かって南にのびる砂礫の砂嘴上に立地する、中世から現代にいたる墳墓群である。
遺跡の範囲は東西70メートル、南北250メートルとちょっとした規模だ。南北朝から室町時代後期の五輪塔、宝塔、積石墓などが存在している。石塔は京都から運ばれてきたものと推測される中央形式のもので、このあたりに大きな勢力をもった豪族がいたことを物語る。海上ルートを支配していたのだろう。
日島は上五島の最西端に位置する。そのため、ここも遣唐使の寄港地になっていたそうで、近世までは繁栄した港町だったのだろう。しかし、現在の日島は、住人わずか50人ほどの小さな島である。野生のニホンジカが多く生息する島として知られていて、たぶん人よりも鹿のほうが多い。
日島の最奥まで行ってみて、引き返す。小さな港で、道路はとぎれていた。

人にも、鹿にも出会わなかった。