上五島の教会群その2(長崎世界遺産候補地旅行記15)

浦桑地区のホテルに投宿し、翌日は朝から教会巡り。日曜日なので、午前中はミサが行われているところが多い。それを避けるため、世界遺産候補の教会ははミサが終わった頃に行くようにスケジュールを組む。

最初は大曽教会。1916年竣工で、これも鉄川与作の設計である。
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煉瓦造の重層屋根構成で、屋根は桟瓦葺き。正面の鐘塔の上部にある八角ドーム屋根が重々しい。古い煉瓦造りは堂崎教会を思わせる造りだが、堂崎教会にはこうした重いドームはない。正面出入口や窓などの開口部は円形アーチ形に統一されている。
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堂崎教会に比べると、設計のバリエーションの幅が広がったことを感じさせる。内部はミサ中なので、見られない。

続いて、島北部の半島を北上する。その最北端が津和崎で、椿の公園を抜けた先に灯台が建っている。
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ここから野崎島とは目と鼻の先である。橋を架けることもできる距離で、橋があればここからクルマで野首教会へ行けるのに、と思う。しかし、野崎島は現在無人島になっているので、架橋の計画はなさそうだ。
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津和崎からの展望はすばらしい。晴れていれば小値賀島も望めるのだが、曇りがちのうえに黄砂も流れていて、野崎島すら視界から消えるときがあった。

そこから半島を南へ戻り、江袋教会へ。1882年に建造された木造教会だが、2007年に火災で消失した。2010年に再建されたが、その際は資料をもとに大正時代当時の姿にしたという。
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次が青砂ヶ浦天主堂へ。鉄川与助設計の1910年建立の煉瓦造である。重厚かつバランスの取れたバロック様式で、国の重要文化財にも指定されている。もちろん、世界遺産の暫定リストにも登録されている。
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曲線をこらした意匠が印象的だ。写真はないが、内部の列柱は円柱で、八角形の上に円形盤二段を重ねる台座がある。茶色の円柱と白壁がバランスよく配されていて、洗練された雰囲気になっている。全体的に、よく完成された教会堂だろう。

次に中通島東端から、大きな橋を渡り頭ヶ島に。ここには頭ヶ島天主堂がある。これも鉄川与助設計の重要文化財。石積みの教会堂は五島列島でここだけである。煉瓦造や木造の教会堂ばかり眺めてきたので、ちょっと新鮮。
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1917年の竣工で、鉄川与助もこの大正中期以降は石造や鉄筋コンクリート造の設計をしている。

頭ヶ島教会堂の目の前は静かな湾部で、砂浜近くから縄文時代の人骨が20体ほど見つかった。これを白浜遺跡という。ただ、建造物の跡はない。
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ちなみに、頭ヶ島には上五島空港がある。1981年に開港した新しい空港で、かつては長崎航空(現オリエンタルエアブリッジ)が長崎便や福岡便を運航していたが、2006年に撤退している。現在は就航便はない。
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立ち寄ってみると、敷地内には自由に入ることができ、駐車場には乗用車が2台停まっていた。職員用のものと思われる。事実上閉鎖されている空港にも係員が常駐しているのだろう。その必要性はわかるが、ヒマで仕方がないのではないかと思う。

最後に、旧鯛ノ浦教会。これは1903年の建造である。
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設計者は不明だが、鉄川与助が建築に携わったとされる。正面の鐘塔は煉瓦造で、鉄川与助の関連を考えてしまうが、これは戦後の増築だそうだ。そのため堂崎天主堂などの明治期の煉瓦積に比べて仕上がりがきれいである。この塔の一部には浦上天主堂の被曝煉瓦が使用されているという。

周囲の木造部分は明治期のものである。板張りが太く懐かしい造りで、こちらのほうに親近感が湧く。
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内部に入ると角柱が密集して連なっている。まるで森のようで、ちょっと深閑とした気分にさせてくれる教会だった。

これで、上五島の教会堂巡りは終わりである。

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