ツアーを順にたどる。まずは、鉄橋跡。

この鉄橋はかつて紋別市内と鴻之舞金山とを結んでいた「鴻紋軌道」の鉄橋で、「五号杭橋」という。現在は鉱山の坑内から出る排水を沈殿池に送る送水管が設置されている。
ちなみに、鴻紋軌道は紋別と元山間28kmを結ぶ762ミリの軽便鉄道だった。開業は1943年、廃止は1948年。わずか5年しか運転されなかった短命の鉄道である。
「旭町跡」という看板の近くで降りる。このあたりは、鴻之舞の市街地の中心部だった。今は、誰も住んでいない。

鴻之舞には、最盛期に1万3000人が住んでいた。これは公式な記録で、実際にはそれ以外の出稼ぎも含めて2万人くらいいたのではないか、という説もある。なんであれ、1万人~2万の人が住んでいた、ちょっとした都市が、この地にあった。
ここが市営住宅跡。

鴻之舞鉱山の設備は、住宅も含めてほとんどが住友金属鉱山の所有だった。同社は、閉山後その施設をほぼ全て取り壊してしまったのだが、この住宅だけは紋別市営だったので、取り壊しを免れたという。
市営住宅を見物していると、キタキツネが現れた。

ガイドさん曰く「観光客がやってきてエサを与えるものだから、すぐ寄ってくるようになっただよ」とのこと。