第三舞台「深呼吸する惑星」 これから見る人のためのレビューと感想

このレビューには、あらすじが含まれていて、若干のネタばれがあります。まっさらな気分で芝居を見たい、という人は読まないでください。

深呼吸ポスター

劇団の解散公演、と銘打つものは初めて見たが、切なくそして懐かしいものであった。

鴻上尚史脚本・演出の新作で、舞台は遠い未来、地球の支配下の惑星である。地球の支配から脱しようとする運動家と、地球支配下で折り合いを付けようとする現地人の首相、地球から派遣された軍人指揮官と女性研究者を軸に話が展開する。

設定がわかりづらく、物語の展開も遅いため、冒頭の30分ほどは退屈であった。近くにはイビキをかいて居眠りをはじめた客もいたほどである。

そのくらい、冒頭は眠くなる。ただ、物語を理解していれば、役者のセリフがすっと頭に入ってきて、おもしろくなるとも思う。そのため、これから見る人のために、最低限のあらすじを書いてみよう。

(くどいようですが、以下、ネタバレを含みます。物語の結末までは書いていません)


新呼吸
(写真はmsnより引用)

主演は筧利夫のようだが、実質的な主人公で大高洋夫で、地球から惑星に派遣された「軍人指揮官」を演じている。そこに長野里美演じる女性軍属の「研究者」が地球からやってくる。

この惑星には、地球人だけがかかる病気があって、その症状として「幻覚」を見る。そのおかげで、地球人の自殺率がとても高い。では、なぜ地球人だけが幻覚を見るのか。それを解明するのが長野里美の任務である。長野の「受け入れ役」が、現地指揮官の大高洋夫であり、「世話役」がその部下の山下裕子である。

筧利夫は「墓守」の役だが、現地の独立勢力の活動家でもある。いちおう、物語前半では「墓守」が「活動家」であることは明らかにされないが、誰がどうみても筧が二役やっているので、フツーに理解できてしまう。

小須田康人は、この惑星の首相である。まもなく、地球から偉い人がやってくるので、そのレセプションについて頭を痛めている。相談相手は大高だが、支配者指揮官の大高のほうが立場は強い。

首相の運転手役が高橋一生。高橋は山下の息子である。高橋はもう一役演じていて、じつはその役目のほうが重要である。物語を理解していない段階では高橋の動きにまで目が行き届きにくいが、最初から注目しておいたほうがいい。

筒井真理子の役柄は説明しにくいが、「謎の女」的な立場で、わかりにくいものではない。

おおざっぱにいえば、地球に支配されていることに反発する活動家と、その活動を阻止しようとする植民支配者層、折り合いを付けようとする首相の葛藤を描いている。


さて、上記のような物語の骨格は、舞台が軌道に乗ったあたりからようやく理解できてくる。詳細は書かないが、「現代社会が抱える矛盾」を「未来のフロンティア社会」の設定に置き換えて物語としている。ちょうど、数ヶ月前に「虚構の劇団」の「天使は瞳を閉じて」を見たばかりだったので、それと同じような世界観を感じた。

二十数年前、第三舞台の芝居を見たときは、こういうストーリーは新鮮だったし、時代にあっていたと思う。ただ、率直な印象を書くと、同じような世界観を2011年に見ると、やっぱり古くさい。「80年代だなあ」と感じたのもまた事実だ。

脚本に張り巡らされた伏線を、最後に上手にまとめてしまうのは、さすがに鴻上氏である。ただ、最後のレセプションシーンの展開はちょっと強引だし、結末で明かされた筒井真理子の「正体」はベタすぎた。その「正体」は80年代でも古いだろ~。もっとすごいことを仕組んでいたのではないか、と期待していたので、ちょっとがっかりした。

解散公演、ということもあり、内容もオールドファン向けだ。かつての第三舞台を知らないと理解できないネタも多く、客席の笑いが偏っていた。僕の隣に座っていた女性は何度も大笑いしていたが、僕はその理由のほとんどが理解できなかった。

たとえば、長野里美が着ぐるみを着ていたことがネタになっていた。が、僕はといえば、「そういえば、長野は昔着ぐるみ着ていたな」と記憶を呼び起こされただけで、それを笑えるにまでは至らない。これから見る人は、少し第三舞台を「復習」してから見に行くと、より楽しめると思う。

「復習」してから見に行けば、幕切れの意味もわかりやすくなるだろう。最終場面の舞台に残っていたのは、ある人物ただ一人である。なぜその役者が最後の人物に選ばれたのか。それを理解できれば、この芝居のテーマがはっきりとわかり、「解散」の重みを感じることができる。だが、それは第三舞台の歴史を知らない人にしかわからない。僕はたまたま、「虚構の劇団」の「天使の瞳を閉じて」を最近見たばかりで、そこでの鴻上の「ごあいさつ」に書かれていた内容によって「復習」していたので、幕切れの意味がわかったにすぎない。もったいぶった書き方をしてしまったが、解散したくてもできない人がいる、ということである。

全体の感想としては、正直なところ、第三舞台にしては平凡な作品になってしまっている。ブログ冒頭で「切ない」と書いたのはそういう理由で、あれだけの一時代を築いた劇団も、最後に解散となるとこういう作品になってしまうのか、という切なさである。鴻上氏が作っているだけあって、物語はまとまってはいたが、驚くような構成ではなかった。オールドファンに向けた懐かしいネタは、それを思い出せない人には戸惑いをもたらす。ただ、第三舞台では、そういうネタを入れるのはお約束だし、解散公演という性格上、それもまたサービスといえるだろう。

役者の安定感は素晴らしい。とくに筧利夫と大高洋夫の存在感は今回も光っていた。しかし、往年の第三舞台の、あの先鋭的な雰囲気やスピード感を感じることは難しかった。そこにあるのは懐かしさである。

第三舞台に思い入れのある人には、いい芝居だったと思う。80年代の小劇場ブームを知る人ならば、時代の区切りとして足を運ぶ価値はあると思う。一つの時代を切り開いた劇団の最後にふさわしい芝居だった、ということだろうか。

客席は、ほとんどが40代以上だったようにみえた。20代の若者はほとんどいない。10年も活動停止していたのだから若いファンができないのは当たり前だが、それでも少し寂しい。昔の第三舞台は、若者から熱狂的に支持されていたのではなかったか。

役者も歳をとり、演出家も歳を取り、そして観客もまた歳を取った。厳然とした事実を、再確認させられた芝居でもあった。

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