鳥取市内の観光名所をめぐる(2012年サンライズ松葉がに紀行10)

香住は兵庫県北部の町である。けれど、東京へ戻るには、神戸や伊丹に出るよりも、鳥取空港からのほうが便利である。そのため、僕も鳥取に戻る。

せっかく鳥取にきたので、久しぶりに鳥取砂丘に行ってみる。
砂丘

以前訪れたときは、「しょぼいなあ」と思ってしまったが、今日、改めてきてみると、結構大きい。鳥取砂丘にはいくつか見物スポットがあるが、今回訪れた砂丘会館バス停付近から第二砂丘列へ向かうのが一番雄大な景色が楽しめるようだ。

お約束のラクダもいる。
らくだ

遊覧料金は1人1800円で、これはちょっと高い。まあでも、ギザのピラミッドのラクダでも10ドルくらい請求されるらしいので、日本で1800円なら妥当なのかも、と思わないでもない。

その後、鳥取城に移動。豊臣秀吉の兵糧攻めで有名。太閤記の中でも、最も凄惨な描写がこの鳥取兵糧攻めなので、いまでも僕の頭のなかに凄惨なイメージが残っている。
鳥取城

で、そのイメージでなんとなく平城と思っていたが、訪れてみると山城で、天守閣のあった久松山は標高263メートルもあるという。この山城は難攻不落に見える。だからこそ秀吉は兵糧攻めを選択したのだろう。歴史というのは、現地を見て初めて理解できることが結構ある。

久松山に登ろうと思ったがちょうど雨が降ってきて断念。二の丸を少し回ったが、石垣以外の構造物は残されていなかった。

麓に降りて、「仁風閣」を訪れる。これは、フレンチルネッサンス様式の西洋館で、大正天皇の山陰行啓時の宿泊施設として1907年に建てられた。
西洋館

素晴らしい建物だが、天皇の行啓は一回限りである。その後どう使っていたのだろうか、と思う。館内の展示によると、迎賓館や博物館として使われてきた、というようなことが書かれていたが、どうもあまり有効な使われ方はされなかったようである。1974年から3年かけて大修理が行われ、大正天皇行啓時の姿に戻された。

僕は歴史的建築物は大好きだけれど、この西洋館にはあまり魅力を感じなかった。それは、結局、一度の行啓のためだけに作られたような建物には、歴史をくぐり抜けてきた重みがないからだと思う。

鳥取は中世以来の歴史ある城下町だけれど、歴史的建造物は少なく、重文級の建物はこの仁風閣だけのようだ。これはちょっと残念である。

最後、時間が余ったので、空港の近くにある「かにっこ館」という施設に行く。海産物や、地元産品が売られていて、どれも美味しそうである。
かに

カニは昨日食べたから買わなかったけれど、かわりに東京では購入できなさそうな、大型の梨を買ってみた。

鳥取の魅力は、名所旧跡ではなくて、やはりこうした自然の恵みなんだろうな、と再認識してしまったのでありました。

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