だいたい四国八十八カ所 レビュー

だいたい四国八十八ヶ所 宮田 珠己(本の雑誌社)



宮田珠己氏は、いつも新しい旅を教えてくれる。「東南アジア四次元日記」では、考えたこともなかったような東南アジアの仏像や公園巡りを教えてくれたし、「晴れた日は巨大仏を見に」は、日本の「未来の名所」を紹介してくれた。

もともと、旅行者が心の奥底で密かに思う心象をユーモアを込めて表現するのが上手な書き手である。デビュー作「旅の理不尽」は、いまも歴史に残る名紀行文だと勝手に思っているが、これもバックパッカーなら誰でも思うことを、巧く書きあてて表現していた。

で、この「だいたい四国八十八カ所」である。

四国八十八カ所巡りという旅があるのは誰でも知っているが、リタイアした人の旅というイメージがある。宮田氏は僕より少し年上なだけで、同年代に近い。しかし、僕は八十八カ所を巡ろうなんて考えたこともなかった。それを40歳過ぎでやってしまうのだから、宮田氏はやっぱりいつも先んじていると思う。

この旅行記で書かれているのは、「一人旅という自由な行動のなかにも、建前と本音がある」ということである。「だいたい八十八カ所」、というタイトルの通り、本書では「まあ全部やらなくてもいいよ」という格好いい「建前」をかざしている。しかし、いざ歩き始めてしまったら、全部完全にやってしまわないと気持ちが悪い、という「本音」が出る。

著者が行ったのは「区切り打ち」といって、何度かに分けて八十八カ所を巡る、という方式だ。この場合、全部の区間を歩かなくても全ての寺を巡ることは可能である。しかし、著者は歩き残したわずか40キロほどの道路のために、訪れる寺もないのに出直したりする。

これは旅行者の「性(さが)」で、「くだらないとわかっていても有名観光地は必ず行く」などという気持ちと同じなのかもしれない。動物園に入ったら、一通り全部の動物を見てしまうし、美術館に行っても、ガイドブックに乗っている絵は全部確認する。鉄道ファンなら始発から終点まで完乗してしまうし、飛行機マニアはひたすら「修行」する。つまり、そういう旅行者の「性」を、四国八十八カ所という舞台で上手に描写している。

道中で出会う他のお遍路達の心象風景も、よく観察している。「旅」と一言で言うけれど、どう旅をするかはその人次第で、その人物の性格が表れる。オランダ人のお遍路が「ああ私は今日本にいるのね」と口走るシーン。自分もその気持ちはよくわかる。

四国八十八カ所のお寺については、ほとんど触れられない。この旅行記において、寺などどうでもいいことだ。たぶん、お遍路のほとんどは、一つ一つの寺に価値を見いだして回っているわけではないだろう。そう考えれば、八十八カ所の旅行記なのに寺が出てこないのは当然だ。しかし、その「当然」をきちんと表現できる人は、なかなかいない。

総じていえば、旅行者の気持ちを巧みに表現した、優れた一冊である。


ただ一つだけ難をいえば、宮田氏の持ち味のユーモアが、ワンパターン化してきた。これは愛読者である僕が慣れてきてしまったからだと思うが、一層の奮起を期待するところである。

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