インターネットが普及する前、海外旅行中に日本語ニュースを得るのは至難のことだった。
欧米の一部の国では、朝日新聞か日本経済新聞の衛星版を手に入れることができたが、値段はとても高かった。たしか、イギリスで300円程度、ドイツで700円程度だったと思う。ドイツでは駅の売店で売っていることもあったが、あまりにも高かったので、遠目で見出しを眺めるだけだった。当たり前だが、新聞1日分に700円も払う気はしない。
長期旅行をしていたときの、僕の日本語ニュース情報源といえば、短波ラジオだった。NHKの国際放送が短波で流れていて、一日数回ニュースを放送する。その時間にあわせて、ラジオのスイッチを入れていた。
国際放送といっても、どこでも聞けるわけではない。受信可能エリアは、アジアの一部と欧米、南米とされていたが、そのなかでも一部だけだったと思う。基本的に、日系人か駐在員の多いところでしか聞くことができない。受信可能エリアにいたとしても、電波が弱いので、周りに建物があれば聞こえない。受信するには、ビルのベランダや、丘の上など、電波の届きやすい場所にいなければならなかった。
当時、僕が受信に使っていたのは、ソニーの短波ラジオICF-SW20である。購入したのは1990年で、その当時で2万円くらいしたと思う。今、同型機は売られていないが、後継機種ICF-SW23は販売されていて、外観などは当時とほとんど変化はない。この20年で短波ラジオに劇的な技術革新はなかったので、基本的な性能は今も変わっていないだろう。


1990年の湾岸戦争のとき、僕はスペインにいた。イラク航空のチケットを持っていて、帰りはそれでバグダットを経由して成田に戻る予定だった。だから、湾岸情勢はとても気になったが、現地ニュースでは細かいことはわからない。「ボイス・オブ・アメリカを聞けば情報が全部出てるよ」と言う人もいたが、あいにくそれを正確にリスニングできる能力を僕は持ち合わせていなかったし、英字新聞を眺めるのも骨が折れる。そもそも、現地の英字新聞には、日本に関する情報など全く載っていない。湾岸で行われている戦争に日本がどう向き合うか、成田と中東を結ぶ国際線の運航がどうなるかを知りたいのだが、そういう情報はNHKの国際放送でしか得られなかった。
それ以来、僕は海外に行くときはこの短波ラジオを持って行くことにしていた。海外において、日本語ニュースは、時としてとても重要だからである。
ところが、インターネットが発展し、ネットカフェが普及すると、日本語のニュースサイトを海外で見ることが可能になった。そうなると、受信が思うようにならない短波ラジオの出番はなくなる。たぶん2000年頃から、僕は短波ラジオを海外に持って行くのをやめた。
さて、話は変わるが、僕はこの2月から自宅での紙の新聞をやめて、朝日新聞デジタルに切り替えた。設定しておくと、朝夕の決まった時間にスマートフォンに新聞がダウンロードされる。朝は、ベッドに横になりながらそれを読む。まことに便利である。古新聞も溜まらない。
wifi環境さえあれば、世界中どこへ行っても朝日新聞を毎日読むことが可能である。短波ラジオよりも小さくて軽い端末で、日本の新聞を毎日必ず読めるのである。これはもう、短波ラジオを握りしめていた時代からすれば夢にも思えなかった進歩である。また、ネットカフェに通ってニュースサイトを眺めていた時代よりも一歩進んだといえる。電子新聞は、海外旅行者にとって(もちろん海外在住者にとっても)、とても革新的な技術である。
朝日新聞デジタルや日経電子版には、いろんな批判もある。たしかに実際使ってみると、まだまだ改善点は山のようにあると感じるし、値段ももう少し安くできないものかと思う。しかしそれでも、この革新的な新聞には、やはり賛辞を送りたい。
ただ、老人の繰り言のようで恐縮だが、海外で日本の新聞すら読めなかった時代。それはそれで悪くなかった。
当時、日本人は外国でよく助け合っていた。大使館では旅行者に新聞を読ませてくれていたし、JALや三越の海外店では、日本人旅行者が日本語新聞を読めるようなスペースまで設けてあった。それがサービスだったのである。
そうしたサービスを行ってくれていていたJALは倒産し、三越は伊勢丹に吸収されてしまった。今、海外で、日本人だからといって新聞を読ませてくれるような場所はあるのだろうか。