寝台車はよく揺れる。車齢30年のオンボロとなればなおさらである。だから夜中に何度も起こされるのだが、それでもこの日はよく眠れた。何度か目覚めながらも、本格的に目を覚まして起きあがったのは、東能代に着いたときだ。時刻は6時27分。加賀温泉を過ぎて眠ったのが21時すぎだったから、たっぷり9時間は眠ったことになる。
すっきりした頭で朝を迎えるというのは気持ちいい。できれば目覚めのコーヒーなどあれば、なお素晴らしい。けれど、斜陽の寝台車でそんなものは期待できず、「日本海」には車内販売は一切ない。したがって朝のコーヒーを飲むことはできない。かつては大館から車内販売があったらしいが、今は廃止されている。
代わりに、というわけではないが、「日本海」には「冷水器」が設置されている。

こういう冷水器は、国鉄時代にはどんな優等列車にも着いていたが、いまや絶滅危惧種である。附属の紙コップで試しに飲んでみるが、さすが伝統ある国鉄の冷却水だけあって美味である……わけもなく、ただの水道水である。
ついでに車内を探検する。「日本海」の廃止とともに姿を消すであろう、開放型A寝台をのぞいてみる。


全体に、この列車の乗車率は3~4割といったところだけれど、A寝台だけはほぼ満席である。細い通路の両側に、厚めのカーテンがずらりと垂れている。
B寝台の通路をたどって、自分の席に戻る。B寝台は閑散としている。

窓の外の雪景色はとても深いものになっている。ここ数日で降り積もった豪雪が除雪で積み上げられて層を作っている。重量感のある積もり方である。

向かいの席の大学生が「すげー、すげー」と低い声を出している。たしかにすごいけれど、積もった雪だけでそこまで感動できるというのがうらやましい。雪のない地方で育った人間は、東北や北海道の気の遠くなるような重みの積雪を初めて見たとき、心の底から感動する。しかし、何度も見ているうちに感動の度合いは下がっていく。旅での感受性は、経験を増すごとに減衰していく。これはとても悲しい真実である。僕だって、初めて冬の雪国に来たときは、あんな感じで感動していたのである!
大学生の感動は、大館を過ぎて矢立峠にさしかかる頃にピークに達した。積み上げられた雪はしばしば仰ぎ見るような高さに積み上げられ、列車はこするようにそれを通過する。そして長いトンネルに入り、雪深い小さな町にたどり着く。そこが大鰐温泉駅。ローカル私鉄である弘南電鉄のステンレスの車両が、寒そうに銀色に光っている。この私鉄も、いつまで存続できるだろうか、と心配だ。

雪はほとんど降っていない。そのためこれだけ雪の深い道を進みつつも、列車は定刻運転だった。寒波が襲来している日である。運休がなくても遅延は間違いないだろうと覚悟していたので、ちょっと残念だ。僕は寝台車に乗りにきているのだから、少々遅れるくらいは問題はない。というか、長く乗れるから遅延はむしろ歓迎である。そう思っているのだけれど、無情にも列車は定刻通りに弘前駅の近代的なホームに滑り込む。

ここまでくれば、もうあとは青森までウイニングランをするだけである。