留萌本線は、留萌-増毛間66.8キロの行き止まりの路線である。過疎路線で、1981年に告示された「特定地方交通線」では、輸送密度が4000人/日未満の鉄道として廃止候補にされたほどである。しかし、「平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上」という例外規定にあてはまり、あやうく廃止を免れた。以後、輸送人員は下落の一途をたどりながらも、なんとか存続し続けている。

僕は、この留萌本線の一部区間に、1985年頃に乗車している。まだ存在していた羽幌線で幌延から留萌に来て、留萌本線で深川に抜けた。そのため深川-留萌間は、すでに乗車しており、未乗区間は、留萌-増毛間の16.7キロのみである。
2012年2月3日、上野から「カシオペア」に乗車し札幌に至り、「スーパーカムイ17号」に乗り継いで、翌2月4日の13時02分に深川に着いた。寒波が訪れて冷え込んだ日で、深川駅にもやや強い雪が降り続けている。
停まっているのは、キハ54系500番台という車両で、1986年に製造された国鉄最末期のディーゼルカーである。この日はキハ54-501という同形式の初番車だった。1番というのはなんだか縁起がいい。
13時23分の定刻発車。座席の7割くらいは埋まっている。北海道のローカル線にしては客が多い方だ。外は粉雪が強い風にあおられて降り続けている。普段は車を使う人も、こういう日は列車にするのかもしれない。
秩父別で3割くらい降りて、石狩沼田でも同じくらい降りた。深川を出たときはまずまず混んでいた列車だが、石狩沼田を出ると座席の3割程度も埋まっていない状態になる。
車窓は真白である。北海道の車両は二重窓になっているが、それが曇っていて、外は何も見えない。線路は分水嶺に差し掛かり、大きなS字カーブを描きながら坂道を登っていく。外はしん、としていて、車内にはディーゼルの大きな音が響き渡る。時が止まったような淡々とした時間が車内を覆う。真冬の北海道でしか味わえない、水を打ったような車内空間である。
峠を越えると、ディーゼルの音は小さくなり、列車の速度も上がる。少し家が増えてきたな、と思うと、留萌に着いた。ここで、大半の乗客が下車する。
残ったのは、2人の一般客のほかに、鉄道ファンとおぼしき乗客が1人と、リタイア組のグループ旅行の男性が5~6人である。言葉を聞いていると名古屋からで、こんなところまでグループ旅行にくるのだから、彼らもその筋の人だろう。2割の一般客と、8割の一般でない客を乗せて、ディーゼルカーは留萌を出発した。
ここからいよいよ最後の未乗区間である。少年時代に思い描いた国鉄全線完乗の夢が、実に三十余年の時を経てついに実現するのだ。ものすごい身が引き締まるで興奮の極地になるかと思ったら、そんなことは全くない。しょせんは列車に乗っているだけで、むしろ寝不足で眠い。
留萌から増毛へは、日本海沿いに進む絶景の路線である。小さな市街地を抜けると、どんよりとした雲の下に、ネズミ色の海が目に飛び込んでくる。海岸線は雪に埋もれ、誰も歩いている人などいない。千年前から変わらないような、冬の北海道の厳しさが伝わってくる光景である。

列車は、冷たい海風に身を縮めるように、ゆっくりと走っていく。線路にも雪は積もっている。北海道の車両には除雪機能があるから、この程度なら障害なく走れるけれど、それでもいくぶん慎重に走っているように感じる。このあたりは雪崩が多いそうで、雪の強い日は運休も多い。危ないなら今日も運休していいんだぞと思うが、このタイミングで運休されるのも困るので複雑な気持ちである。
留萌を出て26分。大きな湾をぐるりと半周したところで、列車は終点増毛に到着した。1面1線の、屋根のないホームが一つあるだけの簡易な駅である。ホームは除雪されているが、氷のような雪が一面にへばりついている。留萌本線の線路はここで終わりで、車止めの標識があるが、雪に埋もれてしまっていて、頂上部分だけがわずかに顔をのぞかせている。


車止めの隣に駅舎があるが、いまは無人である。がらんとした待合室には、東京では見かけなくなったようなプラスチックの椅子が座ってくれる人を待っている。かつての出札窓口の後にはそば屋が設置されているが、休業中でシャッターが閉まっている。駅舎を出ると小さな駅前広場がある。半分は雪に埋もれ、開いている商店などはない。

イメージしたとおり、最果てのローカル線の、最果ての駅で、JR全線完乗は達成された。ぱちぱち。