
トロッコ車両がホームに入ると学習会参加者が殺気立ってきました。良い席を確保したい参加者が、静かに火花を散らします。それには理由があって、この砂防軌道、進行方向左手に乗らないと景色がほとんど楽しめないからです。
入線すると、あっという間に席が埋まります。筆者もなんとか左手の窓際をゲット。全員が乗り込むと、列車はすぐに発車しました。無造作に、ごとりごとりと動き出します。14時32分でした。
トロッコは、機関車1両に客車3両の編成です。1両に3人掛けの座席が3列ありますので、1両が9人乗り、定員総計は27人です。
左右に小さく揺れますが、乗り心地は悪くありません。路盤はしっかりしていて、整備も行き届いているようです。少し走ると、白岩堰堤を眺める展望台に到着。数年前まではここで下車して見学ができたそうですが、今回は車両がいったん停止するだけで下車はありませんでした。

展望台を過ぎ、少し長いトンネルを抜けると、樺平の18段連続のスイッチバックが開始です。38段のスイッチバックのうち約半分が樺平に集中していますので、ここは全路線中の白眉です。

列車は行き止まりに突っ込むと、すぐにバックして坂を下りていきます。スイッチバックの転轍機は自動切替式になっているようで、停車の反動を利用するかのようにすぐに逆進します。全行程で38カ所もスイッチバックがあるので、逆進を効率的に行えるようになっているようですが、その「逆進の早さ」にはちょっと驚くほどです。


窓から下を眺めると、これから走る線路がつづら折りに4つも5つも見えます。こうした光景は、世界でもかなり珍しいでしょう。筆者はペルーで5連続スイッチバックの路線に乗ったことがありますが、スイッチバックの間隔が長いため、こうした「つづら折りの線路」を上から眺めることはできませんでした。砂防軌道のスイッチバック間隔が短いからこそ、こうしてつづら折りが眺められるのです。


18段のスイッチバックを下り終えたところが樺平連絡所。「連絡所」というのは「駅」みたいなものです。15時11分通過。女性職員が手を振ってくれます。

樺平からは、常願寺川に近いところを走ります。しかし、常願寺川は急流なので、鉄道の緩やかな勾配では、すぐに川面との標高差は広がってしまいます。その差を埋めるように、ところどころにスイッチバックが織り込まれています。
15時30分、鬼ヶ城連絡所通過。ログハウス風の立派な「駅舎」の前で女性職員が旗を振ります。千寿ヶ原から8.5kmの地点で、距離では全線のほぼ中間に位置する駅です。

出発から1時間を経て、乗っている参加者もやや疲れてきました。トロッコの車内は狭く、とくに右側の景色の悪いサイドに座ってしまった人は窮屈で退屈な様子です。参加者は早起きして集合しているので、居眠りの人も数多く。このあたりのスイッチバックは、樺平の18段と違い、刻み方が大きくなります。また、スイッチバックも減り、車窓もやや単調になっています。

妙寿の4連続スイッチバックを過ぎ、15時46分桑谷連絡所通過。距離としては3分の2を超えました。

その先にある長い天鳥トンネルは2005年の開通。以前は、この場所にも4段のスイッチバックがあり、全線では計42段のスイッチバックがあったそうです。天鳥トンネルの開通により、この4段のスイッチバックが解消され、現在の合計38段になりました。天鳥トンネルの内部はきれいなコンクリートで真新しさを感じます。
それにしても、21世紀に入っても線路改良が続けられているのですから驚きです。となれば、この路線は、山岳鉄道としては世界最先端の技術が用いられているのかもしれません。
そろそろ飽きてきたなあ、疲れたなあ、と思ったところで、最後のスイッチバック。3段連続のスイッチバックの途中で、終点千寿ヶ原のターミナルが見えてきます。

立山砂防博物館の裏手にあるターミナルです。千寿ヶ原には16時15分の到着でした。

水谷からは1時間43分かかりました。