続いて、ここが津沢駅跡。現在は児童公園になっています。
左のサイクリングロードが線路跡。右側の公園が駅舎跡。
このあたりに駅舎があったのでしょう。不自然な位置の横断歩道が、かつての駅舎の位置を伝えているようです。
津沢駅前の横断歩道。不自然な位置にある。
駅がなくなったのなら、この横断歩道は不要にみえますが、お役所仕事で、廃線後もずっと残っているのではないか、と推測します。
津沢駅跡には、この鉄道を建設した津島吉六の頌徳碑があります。

津島吉六頌徳碑
この裏には、次のような文章が書かれています。
「鉄債鬼しばし凌いで来てみれば 粟津の秋は酒友もなし 水雪」
鉄債鬼、とは「鉄道債の返済が苦しい」という意味でしょう。それをなんとか凌いだら、最後は粟津温泉で一緒に飲む友人も失ってしまった、ということでしょうか。
なぜ粟津が出てくるのかは不明ですが、酒が出てくるのは、津島が造り酒屋だったからと思われます。もともとは加賀藩の士族で、津島の先祖は「佐渡守」を称していたということです。その津島は、廃藩後、酒造で成した財を鉄道で失ってしまったようです。「うちの汽車は札束を燃やして走っとる」などとぼやいていた、という話を親族から聞いたことがあります。
隣接する工場には、かつて加越線の引き込み線がたくさんはいっていたそうです。

作業用のホームが残っていると聞いていたのですが、どこだかわからず、見つけられませんでした。