プラハ城(チェコ・ビールと古城の旅行記18)



チェコで最大の名所といえば、プラハ城。世界でももっとも大きな城の一つ、とも呼ばれています。

9世紀にこの地に城塞が建てられたのが始まりで、14世紀にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝(カール4世)に選ばれると、城はどんどん拡張されました。プラハ自体も、神聖ローマ帝国の首都として発展しました。

このカール4世という人は、神聖ローマ帝国の皇帝選びからローマ教皇の介入を廃し、後の帝国の枠組みを造った人物です。ただ、皮肉なことに彼の家柄は皇帝位を世襲し続けることができませんでした。神聖ローマ皇帝の称号は、彼の死後、ライバルであったハプスブルグ家の手に渡ってしまいます。

旧来の権威を制限し新しい体制の礎を築きながら、最終的に他家に権力を持って行かれてしまう。日本人なら織田家と徳川家を連想してしまいますね。ならば、さしずめ、カール4世は中央ヨーロッパの織田信長、ということでしょうか。

さて、現在のプラハ城は、そのカール4世によって整備されたものが基礎になっています。

トラム22番の「プラハ城Prazsky hrad」電停で降り、庭園を左に見ながら歩くと、すぐにプラハ城の偉容が見えてきます。聖ヴィート大聖堂の大きなこと!写真ではなかなか伝わらないですが、ほんとにのけぞるような大きさです。



聖ヴィート大聖堂の現在の建物も、カール4世の治世に建造が始まりました。ただ、完成したのは1929年。完成まで実に600年もかかっています。それでも、先人の意思を継いで完成させてしまうところがすごいですね。バルセロナのザクラダ・ファミリアにもいえることですが、ヨーロッパ人の気の長さなのか、キリスト教徒の情熱なのかわかりませんが、数百年かかる建築プロジェクトというのは、東洋にはない発想のような気がします。

ステンドグラスのなかには、画家ムハのデザインによるものもあります。ムハは19世紀の人物で、チェコを代表する画家として知られています。


中庭に面して建つのが、大統領府。今もここは現役の政府中枢なのです。その意味では、クレムリンなどと同じですね。



大統領府の隣に、旧王宮の見学路があります。旧王宮、といっても、ここが王宮として使われていたのは16世紀までだそうです。では、その後はどこで?と思いましたが、それは今の大統領府に連なる建物だそうで、新王宮と呼ばれています。内部は非公開です。

大統領府の内部の写真だけご紹介。国賓の歓迎式典の様子かなにかです。



さらに歩くと聖イジー教会。赤い壁面のロマネスクな雰囲気が印象的。



これは920年完成。城内に現存する建物としては最古です。

そして、最後のハイライトが黄金小路。錬金術師が住んでいたということから名付けられた名称です。



これが錬金術師の家の内部。



中の調度品は、レプリカというか、後世の再生品と思われます。さすがに、昔の錬金術の用具は残されてないと思いますので。

実際は城で働く職人や役人なども住んでいたそうです。この小路で有名なのがカフカの家。



細い小路に観光客が大勢いるので、このように芋の子を洗うようです。芋の子小路といったほうが良いような。



貴族の住居跡が見られるのは、ロブコヴィツ宮殿。チェコの貴族のロブコヴィツ家が代々使用していた宮殿です。現在は一部がレストランになったいるほか、コンサートが開かれたりしています。ここがコンサートも開かれるホール。



ベートーベンもここで演奏をしたことがあるとか。ロブコヴィツ家は、ベートーベンの支援者でもあったそうです。そういうちょこっとしたエピソードを聞くと、ちょっと中世の気分になれますね。

プラハ城はこれでだいたい終わりです。最後に、正面お城を見てみます。



歩いてきた人は、この正面から入るのですが、トラムから来てトラムで帰ると、ここは通りません。

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