人口1万人を越えた集落だったから、当然学校もあった。小学校が二つ、中学校が一つである。
集落の中心部に近い場所にあったのが、鴻之舞小学校。これが、その跡地である。

開校は大正10年、閉校は昭和48年。

生徒数のピークは2度あり、1度目が大正15年。31学級1593人が在籍したという。2度目は昭和34年、24学級1170人が在籍した。
このサイトに、当時の写真がいくつか掲載されている。
http://www.h2.dion.ne.jp/~cha2/nature/kounomai/school/school.htm
その一部を引用する。これは、昭和34年の写真。

手前に見えている二宮金次郎像は、今は台座だけになっている。

昭和36年には給食設備まで作ったという。そのわずか12年後に廃校である。
鉱山都市の人口減少というものが、いかに急に進むかがわかる。
廃校時の写真がこれ。

日本が豊かになるにつれ、教育施設も充実したが、この町では急速に人が減っていき、施設は使われなくなった。
現在の建物は、骨組みが少し残るだけである。

校舎に上がる階段。かつては、たくさんの生徒がここを登り降りしていたのだろう。