特急「いなほ」は、新潟~酒田・秋田間を走る特急です。定期列車は1日7往復。全列車が485系です。
485系といえば、国鉄時代末期に東北地方を縦横無尽に走っていた名車。JR東日本に最後まで残った国鉄型特急車両の一つでもあります。国鉄時代から旅をしてきた人には、思い出深い車両なのではないでしょうか。
その485系も、いよいよ羽越路から姿を消し廃止されるようです。JR東日本は、2013年9月28日ののダイヤ改正から、E653系1000番台に順次置き換えることを発表しています。全部の「いなほ」がE653系になるには、まだ少し時間がかかるようですが、いよいよカウントダウンが始まった、ということに違いはありません。

「いなほ」のうち、新潟~秋田間を走る列車は1日3往復のみ。このうち、午前中に走るのは「いなほ1号」だけです。この列車に乗るには、東京を早朝06時08分の始発「とき301号」に乗らなければなりません。都内の自宅を午前5時前に出発です。
新潟には08時12分着。「いなほ1号」とは14分の乗り継ぎです。鉄道ファンがあちこちで、消えゆく485系に向けてシャッターを切っています。ただ、車内に鉄道ファンの姿はそれほどありません。どちらかといえば、実務の旅客で指定席は8割方埋まっていました。
定刻08時26分発。白新線を経て、新潟平野の田園地帯を進みます。
車両は前後左右に不規則によく揺れます。近頃の特急でこんな揺れには滅多にありません。これが「国鉄型の味」とでもいいましょうか。ちなみに、乗車した車両は「昭和53年日立製作所製」とありました。1978年の製造です。
シートピッチも狭く、リクライニング角度も緩い。上越新幹線E2系のゆとりあるシートから、485系のシートに座ると、とても窮屈に感じられます。こんな車両が、昔は「花の特急車両」だったことを考えると、時代の流れを感じます。1978年は、長距離移動でも固いボックスシートの急行車両が主力の時代だったはずで、当時としては、485系の回転式リクライニングシートは、豪華設備だったのでしょう。

村上駅を出ると、新潟平野はおわり、険しい海岸沿いを進んでいきます。家屋は少なく、どんよりとした天気もあって、寂しく、くすんだ情景が続きます。村上~秋田間は212キロありますが、その間、都市は大きな都市は鶴岡、酒田くらいでしょうか。日本海側でもとくに人口の少ないエリアです。そのため、鉄道設備もやや貧弱で、風雨が強まるとすぐに運休してしまいます。風景も鉄道設備も、昭和感あふれる路線です。
そのぶんというべきか、海岸沿いを走る風景は懐かしく、また遠くに浮かぶ粟島が美しく霞んでいます。

乗客は途中駅でぽつぽつと降りていきます。新潟からの乗客は酒田までにあらかた降りてしまい、指定席はガラガラに。自由席は、途中駅からの乗車もそれなりにあり、入れ替わっているようです
車内販売も全区間で実施されていました。ローカル特急では車内販売は消えつつあるので、貴重です。朝の列車なので、コーヒーなどの売れ行きがいいのかもしれません。ただ、短い編成の列車なので、何度も往復するほどでもなく、休憩時間も多い様子。

約3時間半かけて、羽越路を縦走。定刻の12時04分に秋田駅に到着しました。秋田新幹線の洗練された姿が、まぶしく飛び込んできます。新潟から秋田まで乗り通した人は、それほど多くはありませんでしたが、いることはいました。「いなほ」は、今の時代も、輸送の役割をきっちりと果たしているようです。