井川線はなぜアプト式で建設されたのか(鉄道全線完乗はアプト式で5)

14時26分アプトいちしろ着。ここから先がアプト式の区間である。この区間は、1990年に建設された。ダム建設で既存の路線が水没することになり、新線を建設。そこにアプト式が採用されたのである。

大井川鉄道15

アプト式は、どちらかといえば古い鉄道技術である。1990年にもなってこれを導入したと聞いたとき、不思議でならなかった。途中90‰(パーミル)の急勾配があるためアプト式を採用した、という説明がされているが、トンネルを掘って迂回すれば傾斜をゆるめることはできたはずだ。アプト式区間は1.5kmにすぎない。その短い区間のためのアプト式の維持コストを考えると、大回りでも傾斜の緩い路線を建設した方が合理的なのではないだろうか。

これについて、大井川鐵道株式会社顧問の白井昭氏は、工事にあたり3つのルートが検討されたと述べている。

1 元の線に沿ったまま、ずっと手前から高架などで山腹を勾配で登る。
2 アプト式鉄道にして特別な急勾配でダムの下から一気に登る。
3 山の中をループトンネルで2周して登る。

このうち、建設コストにおいて、距離の短いアプト式は有利であった。ただし、アプト式鉄道の当初計画では、線路はトンネルを走るルートであったという。そのルートを少しずらしてS字形の大井川を渡る現在の湖上橋のルートに変更した。そのほうが景色がいいからというわけで、つまり景観を重視して現在の路線となったということのようだ。

ただ、推測だけれど、「日本唯一のアプト式路線」を観光の目玉にしようと考えたことも、アプト式採用の理由の一つではなかったか、と思う。さらには、「登山鉄道を今後日本で建設する計画があり、アプト式の技術を獲得しておきたかったのではないか」と推測する人もいる。いずれにしろ、経済的合理性だけでアプト式が採用されたわけではないのは事実のようである。

さて、アプトいちしろでは、後方にアプト式の機関車ED90を増結する。この機関車は、通常鉄道と比べても大型で、軽便サイズの井川線車両には不釣り合いなくらいな迫力である。しかもそれが2連で、ED902とED903が繋がっている。聞けば、普段はアプト機関車は1両だけだけれど、この3日間だけは貨物列車の運行があり、その対応で2連で運行されるという。ちなみに、貨物列車は定期列車ではなく、線路保守の資材を運ぶための臨時運転だそうだ。

連結作業はてきぱきと行われる。女性車掌が身を広げて手旗信号を振り、声を張り上げて確認指呼をする。この鉄道では車掌は何でも屋だ。

大井川鉄道16
大井川鉄道17

14時30分アプトいちしろ発。後方に強力な機関車の援軍を得て、トロッコ列車はぐいぐいと坂道を上っていく。90‰の傾斜といっても、角度にすれば5度程度である。窓から身を乗り出して先を見てみると確かに急勾配ではあるが、のけぞるほどではない。コンクリート橋脚と鋼製床版がまだ新しい。ローカル線といっても、ここは1990年にできた新線である。

大井川鉄道18

右手に長島ダムの重量感あふれる姿を望むと、長島ダム駅である。ここで、2両のED90形機関車は切り離しである。ちょうどやってきた千頭行き列車列車に付け替えられた。効率のいい運用である。

団体客も、長島ダム駅で降りた。井川線のハイライトであるアプト区間までの体験乗車のようだ。これから寸又峡温泉にでも行くのだろうか。列車はガラガラになる。

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