友が島の西をめぐる (3時間友が島半周旅行記2)

友が島には、5箇所の砲台がありました。第1砲台から第5砲台です。歩いて渡れる隣島の虎島にも砲台があり、それを含めると砲台は6つです。設置されたのは明治28年から37年にかけてです。

この小さな島に砲台がこれだけ設けられたのですから、明治の時代に、友が島はとても重要視されていたことがわかります。実際、戦前は600人ほどの将兵が駐屯していたそうです。

まずは西回りで、第5砲台跡へ。ここはそれほど大規模な砲台ではなく、口径12cmカノン砲6門編成の砲台でした。大砲は残されていませんでしたが、要塞部分は思っていた以上に形が良く残されています。

友が島第五砲台
友が島第五砲台

いったん、外周に戻り、富士屋別館という旅館の横を抜けていきます。いまは営業していません。真夏のピークシーズンには営業しているのでしょうか。

友が島富士屋別館

少し歩くと第2砲台跡です。明治31年竣工。口径27cmカノン砲4門が据えられていました。しかし、大砲は一度も使用されることなく、第二次大戦終了後に、駐留軍により取り壊されたとのことです。現在は要塞は崩壊気味で、近づくことは禁止されています。

友が島第2砲台
友が島第2砲台

第2砲台からの景色は友が島のハイライトです。

友が島第2砲台から紀淡海峡

しばらく歩き、島の西端に位置する友が島灯台。明治5年完成、日本で8番目にできた洋式灯台です。設計はスコットランド人のリチャード・ブラントン。日本の初期灯台の多くが彼の設計で、「日本の灯台の父」とも言われる人物です。

友が島灯台

灯台は紀淡海峡に面していて、淡路島がくっきりと望めます。淡路島までの距離は3.8kmで、意外と近い。明石海峡が3.6kmですから、それほど変わりません。架橋構想もありますが、実現の見通しはありません。

紀淡海峡

ちなみに、この灯台のすぐ横には、日本標準子午線が走っているそうです。つまり、ここは明石市の真南にあたるわけです。和歌山が明石の真南にあるという位置関係は理解していませんでしたので、ちょっと意外でした。

友が島灯台の近くに、第1砲台があります。明治23年完成。ここも口径27cmカノン砲4門編成の砲台でした。217kgの弾を14km飛ばせる威力があったそうです。つまり、淡路島の島内まで余裕で砲撃できたわけです。

友が島第1砲台入口

現在は一部は立ち入り禁止になっていて、また見える部分も半ば土に埋まり、その全容を捉えることはできません。奥まで歩いて行くと塹壕があり、その奥にトーチカが残されていました。

友が島第1砲台塹壕
友が島第1砲台トーチカ

トーチカの開口部から外を覗いてみると、生い茂る木々の合間から、紀淡海峡が望めました。

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