第1砲台を出て、坂を下ると、池尻キャンプ場に着きます。夏はここでキャンプをしている人がいるようですが、筆者が訪れたときはテントは全くありませんでした。

キャンプ場に隣接する孝助松海岸。海水浴場だった場所のようですが、砂浜というよりは石の浜で、泳ぐ気にはなれません。友が島というと、海水浴場というイメージがあったのですが、この浜で泳ぐなら、片男波海水浴場にでも行った方がいいような。

ゴミも多いのですが、これらは大阪湾から流れ着いたものだそうで、掃除をしてもキリがないようです。なんというか、基本的には汚い海岸です。
さて、友が島の最高標高は119mですが、これからそこへ向かって登っていきます。山道が続き、ちょっとしたトレッキングです。

途中、旧海軍聴音所に寄り道。潜水艦の進入を探知するために作られた施設だそうです。

第二次大戦中には、50名の海軍兵が3交代勤務をして、海中に敷設したソナーで艦船の推進音を捕捉していたそうです。探知した場合は、敷設してあった機雷を爆破させる役割を担っていたとのこと。
第二次大戦中には、実際に紀淡海峡近くに米潜水艦は来ていたと思われますし、その湾内進入を防ぐ役割は重要だったとみられます。友が島に設けられていた陸上要塞は、第二次大戦当時には軍事的な意味は薄れていましたが、この施設だけは、1945年までそれなりの意味を持っていたでしょう。
さらに山を登り、そして到達したのが、タカノス山展望台。大阪湾が一望できるきれいな広場です。

隣には、航空保安無線施設のVOR/DMEが設置されています。関西空港開業時に建設されたとのこと。離着陸の目印になる施設です。

タカノス山には、第3砲台があります。友が島の最高所に設けられていた最重要砲台で、規模も最大です。口径28cmの榴弾砲8門編成で、大規模な地下施設もありました。造りがしっかりしていて、現在でも砲座の跡に立ち入ることが可能です。

砲座は二つずつ、4つの区画に分かれて配置されていて、レンガのトンネルでつながっていました。そのトンネルを延々と抜けて歩くことができます。
少し離れたところには弾薬庫があります。ここが友が島のハイライトで、要塞の雰囲気が抜群です。ただ、内部に入ってもがらんとしているだけですが。

将校宿舎跡も残されています。こうした第二次大戦時の兵舎は、内地ではほとんど失われてしまっていますので、貴重な遺構といえます。

最後に、探照灯跡へ。サーチライトを設置した場所です。道中には、電柱の跡があります。発電施設から送電線で電力を送っていたのでしょう。
.jpg)
ここが探照灯跡。上部にサーチライトを設置していた台座が残されています。それ以外は、とくに変哲のない煉瓦造建築でした。


ここで、時刻は16時になりました。最終船は16時半に桟橋を出ますので、もう戻らなければなりません。時間切れです。
友が島1周どころか、西半分を回るのがやっとでした。当初の計画では「名所探索コース」をベースに、早足で回って虎島まで狙ったのですが、とても無理。3時間かけてできたのは島半周です。虎島も含めて一周するには、9時か10時の便で来て、丸1日滞在するつもりでないと無理ですね。

最終の船で、友が島を離れます。
コメント