30年後の三菱石炭鉱業鉄道。1985→2015。(2015夕張&「はまなす」1)

三菱石炭鉱業鉄道といえば、北海道最後の私鉄として知られていました。子どもの頃、北海道には私鉄を示すマークはこの路線しかなかったので、妙な存在感があったことを覚えています。その存在感に惹かれて訪れたのは、1985年夏のこと。廃止されたのは1987年でしたから、廃止の2年ほど前です。

三菱石炭鉱業鉄道線は、正式には三菱石炭鉱業大夕張鉄道線、といったそうです。清水沢~大夕張炭山間17.2kmを結んでいましたが、大夕張炭山閉山後、1973年に、南大夕張~大夕張炭山間が廃止され、清水沢~南大夕張間7.6kmに短縮されました。筆者が訪れたのも、短縮後のことです。

廃止から28年。たまたま北海道新聞でこの路線の車両が保存されていることを知りました。おりしも、9月6日に「汽車フェスタ」と題するイベントが行われると聞いて、行ってみることにしました。東京からスカイマークで新千歳空港へ。そこからレンタカーで1時間ほどです。

南大夕張14

北海道新聞8月28日付け記事を以下に引用します。

最盛期の勇姿、客車に白帯 三菱大夕張鉄道保存会が整備

【夕張】1987年に廃止され、市内南部で保存されている三菱大夕張鉄道の客車のうち1両が、夕張が最もにぎやかだった半世紀前の姿によみがえった。1937年(昭和12年)製造の「ナハフ1」。ぶどう色と呼ばれる茶色の車体の窓下に、白い帯を復活させ、2カ所に赤色の三菱マークも書き入れられた。

 車両保存に取り組む三菱大夕張鉄道保存会が、毎月行う車両整備で復活させた。6月に車体全体を茶色で塗り直し、7月に窓下の帯を塗装。8月23日に、三菱マークのほか「ナハフ1」などの表記を書き直した。

 保存客車3両のうち、他の2両は旧国鉄車両だが、ナハフ1は当時の営業主体である三菱鉱業が自社で発注した。同保存会の川合宏幸技術部長によると、白い帯は、50~60年代、夕張行きの国鉄車両と乗り間違えないように塗られたものという。


長い引用すいません。

現在、車両が保存されているのは南大夕張駅の跡地です。当時のホームのあった場所に、車両もそのまま置かれています。廃止後、ずっと保存されていたのでしょう。

南大夕張1
南大夕張12
南大夕張13

これが、白帯が塗り直されたナハフ1です。

南大夕張2

ちなみに、こちらが1985年、筆者が訪れたときのナハフ1。

南大夕張4

85年当時は白帯ではありませんでした。

今回のフェスタでは、ナハフ1の車内は立ち入り禁止になっていたのですが、違う車両の内部には入ることができました。

南大夕張5

車内に入った瞬間、時間の力にぐっと引っ張り込まれるような感覚が身体を駆け抜けます。ああ、こんなだったかなあ。記憶力のいい年代に乗ったので、なんとなく覚えています。

ちなみに、1985年当時のナハフ1の内部。

南大夕張6

背もたれの茶色が、現在よりも薄いです。時の流れでしょうか。

それにしても、変わったのが南大夕張の駅です。1985年当時はまだ炭鉱が開いていたため賑やかでした。当時の写真です。

南大夕張7
南大夕張10

少し位置はずれますが、これが現在の南大夕張。
南大夕張11

背景のねずみ色の建物が、昔と同じ位置であることを教えてくれます。

駅を上から見たところ。
南大夕張8

ほぼ同じ位置の現在。
南大夕張9

30年という月日の重さ、といってしまえばそれまでですが、ここまで変わってしまうのです。

でも、鴻之舞のように、全てが自然に返ってはいません。南大夕張は、まだ人里の地として留まっています。

関連記事

サイト内検索

ブログ村

アーカイブ

全ての記事を表示

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
育児
14位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
パパ育児
3位
アクセスランキングを見る>>

訪問者数