1985年の三菱石炭鉱業鉄道の時刻表を見ると、清水沢駅発が08時20分、16時27分、18時40分の1日3本しかありません。どの列車に乗ったのかはよく覚えていませんが、なんとなく朝の列車だった気がします。だとすれば南大夕張着08時40分で、折り返し列車は15時13分発までありません。
そんなに待つはずありませんから、帰りはバスだったのかもしれません。当時は、三菱石炭工業線に沿って、札幌方面への直通バスが走っていましたし、夕張方面へのバスもありました。
かつての三菱石炭鉱業鉄道の清水沢駅。

下が、現在の石勝線清水沢駅です。かつては三菱石炭鉱業鉄道の分岐駅であり、たくさんの石炭貨物列車が乗り入れていたはずです。でも、いまはこの通り、全ての側線が撤去され、棒線配置になってしまいました。

こんな状態でも、有人駅です。近々無人化が検討されているようですが、現在まで有人であることに驚きます。

クルマで来たので、清水沢の隣駅鹿ノ谷駅にも行ってみます。ここもそれなりの規模の駅です。でも、人の気配はありません。

そして、夕張駅。

下が、1985年の夕張駅です。

いまのほうがきれいにはなっていますが、昔のほうが賑やかで風情もありました。
ここから新夕張まで列車に乗ってみます。かつては夕張線でしたが、今は石勝線の夕張支線です。石勝線の一部に組み入れられたことで、現在まで廃止を免れてきた、という側面があります。

車窓を見ていて驚いたのですが、複線の跡がありました。筆者は夕張線が複線だったことを知りませんでした。複線化は早く、大正時代になされたそうです。かつてはそれだけ貨物輸送量の多い大事な路線だったのですね。
新夕張駅。

これは、1985年と姿は同じです。

この駅ができたときに、「新幹線の駅のようだ」というような寸評を鉄道雑誌で読んだ記憶があります。1985年に訪れたときは、実際、そのくらいきれいで無機質な駅でした。が、今回行ってみると、かなりくたびれていて、荒れています。同じ時期にできた東北新幹線の各駅はこんなに荒れていませんので、やはり手入れの問題なのでしょうね。
新夕張駅は有人駅ですが、訪れた時間は営業していませんでした。なんとなく重要な駅と考えていたので、こんな駅ですら、改札口が無人になっていることに、少しショックを受けました。

新夕張発の列車でクルマを置いてある夕張駅へ戻ります。夕張から新夕張への列車は時間帯がよかったのか、観光客や鉄道ファンが多かったのですが、この列車はそのどちらもいませんでした。がらがらの列車は、数人の地元客を乗せて、夕張に到着。
新夕張~夕張間で乗り降りが数人ありましたが、鉄道の輸送量としては小さいです。石勝線夕張支線は廃線が検討されていますが、この程度の輸送量ならバスで十分でしょうし、そのほうがバス停が多く便利なのでは、と思わなくもありません。