今日からイエメンにいきます。
年末、どこに行くか迷っていましたが、イエメンに決めました。
理由はいくつかありますが、最大の理由は「いまが行き時」と思われたからです。
ご存じのように、イエメンには「サナア旧市街」と「シバームの摩天楼」という二つの有名な「遺跡」(世界遺産)があります。これは、どちらも、「行かねばならない場所」でした。
ところが、イエメンは政情のなかなか安定しない国です。中央政府の力が弱く、地方まで支配が行き渡っていないことが大きな原因です。各地方の「部族」が現代でも大きな影響力持っていて、部族の地位と名誉を重んじなければ、政治がなかなか機能しない、ということのようです。
僕は1999年頃に、一度イエメンに行こうと、飛行機の手配まで行ったことがあります。しかし、部族間抗争が発生して、政治状況が悪化してしまい、行くのを断念しました。
その後、アルカイダのテロの問題もありました。イエメン政府がアルカイダと強いつながりがあるというわけではないようですが、オサマ・ビン・ラディンがイエメン生まれだということもあり、テロ以降、かなり旅行がしづらくなったようです。イラク戦争が終わり、ようやく状況は改善してきましたが、今度はシバーム近くの空港が、工事のため閉鎖されてしまいました。工事で空港じたいを閉めてしまうとは、思い切ったことをすると思いますが、それもイエメンなのでしょう。
その空港が、今春再オープンして、旅行への障害がほぼなくなりました。以前は、地方に行く場合は「許可証」が必要だったのですが、一部地域を除いて、それも不要になりました。中央政府の力が回復したのでしょう。
こうして、旅行がしやすくなったことは、観光客の増加を意味します。そのため、以前は純朴で知られたイエメン人も「観光ずれ」しはじめた、との声がきこえてくるようになりました。観光地では、子供たちが、ペンをねだるようになってきたり、明らかに入場無料の場所に、門番が立ち、喜捨を求めたりするケースが出てきているようです。
1995年頃でしょうか、カンボジアが旅行者に開放されたころ、僕はまだ兵士がうろうろしているアンコールワットに行きました。そのとき、町は暗く、少しものものしかったですが、人は観光ずれおらず、とても気持ちがよかったのを覚えています。が、いまのアンコールワットは、もうだいぶ変わってしまったようです。同じことが、イエメンでもこれから起こってくるでしょう。
それで、僕は「今年が行き時」だと判断したのです。
イエメンについては「イエメン もうひとつのアラビア」「イエメンものづくし」(ともに佐藤寛著・アジア経済研究所)という良著が出ています。それによると、イエメンが鎖国を解いたのは、わずか30数年前。つまり、現代のイエメンを日本の歴史に喩えれば、まだ明治中期の感覚だそうです。部族ごとの文化が強く残り、イスラム教に敬虔で、原理主義にもはしらず、激しい男尊女卑が続いている。とはいえ、イエメンはもとはといえばアラブの源流ですから、人々は誇り高い。
まあ、とにかくおもしろそうな国です。
世界最古の都市サナア。砂漠の摩天楼シバーム。空中の架け橋シャハリ。のんびり、2週間旅してきます。
以前は、ヨーロッパ経由でしか行けず、往復で4~5日取られましたが、2000年のエミレーツ航空就航、2004年のカタール航空就航(ともに関空)で、日本からの報復が劇的に便利になりました。僕は、初カタール航空で、ドーハ経由で行ってきます。
結果は、またご報告します。